歌の虫干し    お母さんの巻  

                             
               
               おじいさんの巻にリンク
                       
               なつかしのコマーシャルソングの巻にリンク

 母は、とても音感にすぐれた人でした。子どもの頃、大正琴を弾けば、右に出る人はいなかったときいています。三味線も上手でした。初めて聞いた歌を、即、ピアノで弾くことができました。そして「ええ声」をしていました。83歳の晩年でも、すすめられると、独唱を披露していました。

 わたしは、そんな母が口ずさむ歌を聞きながら、大きくなりました。
 お天気のよい日は洗い張りをする母のそばで、雨の日は縫い物をする母のそばで、分厚い童謡の本(といっても粗悪な紙でできていた)を広げ、クレヨンで色を塗りながら、
「この歌はどんなん?」とつぎつぎ歌ってもらったものです。ボランティア仲間からも不思議がられるくらい童謡をたくさん知っているのは、そのおかげなのです。

 母の歌ってくれた歌の中で、あまり知られていない歌を、虫干しします。


春の野の麗しき 花々を
清き思いに 集め来て
御仏に 捧げ供うる
楽し楽しや 今日の祭り
http://www1.plala.or.jp/choushou/midi/hanamaturi.htm(花祭りの歌)

4月8日はお釈迦様のお生まれになった日。「花祭り」の日だ。
私が子どもの頃から、京都の高島屋は現在の四条河原町にあったが、東北の角は空き地になっていた。ある年の「花祭り」の日、そこに白い象がやって来た。象の背中にはお厨子がのっていて、その中に片手をあげたお釈迦様の像が立っていた。わき腹にかかったはしごを母に支えられつつ数段登って、ひしゃくで釈迦像に甘茶をかけたのを思い出す。その象が本物だったかといわれたら、自信はない。でも、長い鞭のようなものを持った象使いの人がそばについていたように思う。甘茶は、昨今、花粉症のためにせっせと飲んでいる甜茶のような味だった。うっすら甘く、ぬるく、そんなにおいしいものではなかった。え……! ということは、味覚というものは、50数年経っても記憶されているものなのだ。なんというか、すごいねえ。
余談だが、その広場のすぐそばに、京都で始めてのエスカレーターが地下に向かって降りていた。短いものだったが、残念なことに、いつもふたがされていた。

あーんたどこの子 お寺の裏の子
夢みるような 
大阪ねえさん べっぴんさん
京都のねえさん おしゃれ

まりつき歌。動作が入る。
♪ あんたどこの子(ついているマリを、足の下にくぐらせる)
♪ お寺の裏の子(前で手を合わせながら、まりをつく)
 夢見るような(耳の横で夢を見るポーズをとりながら、まりをつく)
♪ 大坂ねえさん べっぴんさん(べっぴんさんで、両手で顔をするりとなでる)
♪ 京都のねえさん おしゃれ(くるりとまわって、高くついたまりを足の間をくぐらせて、お尻にまわした手で受ける)
すっかり忘れていたのですが、地域の子どもたちと遊んでいて、ふと思い出しました。



おじいさん おばあさん
なんで 腰 曲がった 
えび食べて 曲がった
もっともだあ  もっともだあ

いやはや、なんとも……。改めて書き出してみると、おじいさん、おばあさんでなくてもクレームをつけたくなるようなふざけた歌詞です。でも、幼な心には、この歌を歌うとき、いつもほのぼのした暖かさを感じていました。片手で杖をつくまねをして、もう一方の手を腰の後ろに当てて前かがみになります。そしてこの歌を歌いながら、ゆっくり歩きまわると、気分はすっかりお年より。えび食べて? 「もっともじゃ、もっともじゃ」と心の底からつぶやいていたものです。                              



外へ出るとき尾をふって
追っても追ってもついてくる
ポチは、ほんとにかわいいなhttp://www.ne.jp/asahi/aaa/tach1394/music/index.htm
(犬)

昔、町中でも、犬は放し飼いにされていたように思います。うちにテッシ―という雑種の犬がいましたが、ある日、わたしと母が出かけるときに、この歌のようについてきました。「おかえり!」と繰り返しいってもシッポを振るだけで帰ろうとしません。母も、よっぽど急いでいたのでしょう、わたしの手をひっぱると、河原町三条からバスにのりこみました。窓の外には、突然消えた飼主をきょろきょろ探しているテッシ―が見えました。
「大丈夫、においをがぎわけ、ひとりでも家に帰るから」と母はいいました。が、犬は帰って来ませんでした。主のいなくなった犬小屋を見るにつけ、悲しくって泣けてきたものです。夜寝る前が特に悲しくって……。今ごろ、どこでどうしているのだろうと思うと、いくらでも泣けてきました。クフ―ンという鳴き声が聞こえたような気がして、なんども起き上がったりもしました。
それから一週間ほどたって、テッシ―が帰ってきたときのうれしかったこと。大事大事なカンパンをあげました。テッシ―はカンパンに見向きもせずに、ぐたりと眠ってしまいました。行方不明になっていた一週間の間、ずっとうろついていたのでしょう。よく帰ってきてくれたと思うと、また泣けてきました。(その頃のわたしは、信じられないくらい泣き虫で 甘ったれでした)。わたしは、雨をたっぷり吸い込んだぼろぎれのようにぐったろなって眠り込んでいるテッシ―の前で、ずっと待機していました。目をあけたらあげようと、カンパンをにぎりしめて。



すたこら すたちゃん あわてもの
びっくりさせよと うしろから
とびついたらば よその人
これは しまった すたこらさっさっさ

これは、大きな蓄音機をまわしながら、レコードに合わせて歌いました。繰り返し歌っているうちに、音が間伸びになっていきます。「としちゃん、早く、早く」。母にせかされて、ハンドルを回したのも、なつかしい思い出です。



うちの ややと 
    ★ややは赤ちゃんのこと
となりの ややが

こっちむいて ばあ

あっちむいて ぶう



背中に、赤ん坊に見立てた人形を背負って母と向かい合います。
♪ うちのややと となりのややが 
と背中の赤ん坊を揺らします。
♪ こっちむいて ばあ
で、歌いながら背中の赤ん坊を相手に見せます。そして、
♪ あっちむいて ぶう 
で、くるりと向こうをむいて、おしりをつきだして、なんと、おならのまねをするのです。

 ボランティアサークルの童謡を歌う集まり「みんなカナリア会」で、子守唄ばかり歌ったときがありました。「シューベルトの子守り歌」「ゆりかごの歌」「五木の子守唄」……。つぎつぎ歌ったあと、おまけとして、この歌を披露したところ、めちゃうけしました。



おかあさま
泣かずに、ねんねいたしましょ
赤いお船でとうさまが
帰る明日を 楽しみに
http://www.fukuchan.ac/music/jojoh/jojoh-frame.html(あした)

終戦後何年か経っていました。小学校に上がる前だったので、昭和24年ごろかと思います。私は母に連れられて、よく京都駅にいきました。汽車が着いて、戦地から帰ってきた兵隊さんがどっとあふれます。「お父ちゃん、どこやろね」 ごった返す人をかきわけ進む母の手をしっかり握りしめて、まだ見ぬ父を探していた小さな私。軍属だった父は、とうに病死していて帰ってくるはずがなかったのです。母はどういう気持で、帰還する兵隊さんを乗せた汽車が着くたびに、私を連れて駅にいったのでしょう。また、なぜ、赤いお舟の歌を、繰り返しうたったのでしょう。舟といえば、こんな歌もうたってくれました。


帰るつばめは、木の葉のお舟で
波に揺られりゃ、お舟も揺れるね
ささ 揺れるね
http://www.ne.jp/asahi/aaa/tach1394/music/index.htm(木の葉のおふね)


思えば、母は、この歌を本当は知らなかったようです。小学校の音楽の時間、♪ 海は荒海、向こうは佐渡よ……と歌いながら、(まねしや)と思いました。私にとってまねをしているのは、「海は荒海……」の方でした。



椿の歌を二曲

(たらりこりれりこ たらりこりれりこ
たらたりれりこ たらりこしゃんしゃん)

お山の お山の 山寺で 山寺で
赤い椿が 咲いたとさ 咲いたとさ

(たらりこりれりこ たらりこりれりこ
たらたりれりこ たらりこしゃんしゃん)

ぽくぽく木魚を打つたびに 打つたびに
白い椿が 散ったとさ 散ったとさ

http://ww4.enjoy.ne.jp/~aqua98/school/Sinpei/n_tubaki.htm(椿)

私は幼い頃、踊ることが大好きでした。シナがいいといわれ、得意になっていました。
幼稚園を卒園するときのことです。「みどり組」だけのお別れ会があって、ひとりでおゆうぎをしたのが、この歌です。テープなどない時代のこと、母が来て歌ってくれることになっていました。「ぜったい、きてね」という私に、母は「必ず行く」といってくれました。が、時間になっても来てくれませんでした。
その頃、仕事を始めたばかりの母は、多分、それどころではなかったのでしょう。高田先生(わたしの大好きだった先生)がオルガンを弾きながら、「こう?」というふうに首をかしげつつ歌ってくれました。似ても似つかないメロディにのせて、いっしょうけんめい踊った6歳の私。「ま、いいやん」と、少々のハプニングにもめげない私の性格は、この頃からだったのかと、改めておかしくなります。


ぽったり、また聞こえる
雨戸をあけて、よくよく見れば
あっはっはっ つばきの花


この「椿の歌」は、四分の四拍子でもなく、かといって三拍子でもなく、もちろん二拍子でもなく、まるで、適当に歌っているというか、自由につぶやいているような散文詩のような歌です。母が自分で作曲したのかもしれません。



紅い(あかい)たもとの お人形は
鹿の子生まれの 昼夜帯び
本京 京都の 上京の
愛し乙女の こしらえた
振袖人形は かわいいな


ローカルな曲で、京都のごく一部の地域でしか歌われなかったのでは? もしかして、京人形協会のコマーシャルソングだったのかもしれません。

 

                
走れ大地を 力のかぎり
泳げせいせい しぶきをあげて
われらの日本は われらの意気は
青年日本の 輝く日本の
光だ 夢だ                 

母は、この歌を口ずさみながら、オリンピックの歌だといっていました。いつのでしょう? 「前畑がんばれ」の時代なのでしょうか。「古畑」の時代なのでしょうか? 全体的に軽快な曲なのですが、意識的にでしょうか、♪ 輝く日本のぉ からは、「君が代」の ♪千代にぃ八千代に のメロディに似ていて、♪光だ 夢だ で、元の軽快な曲に戻っていきます。
 


ひなまつりの歌といえば、おなじみの曲がある。
   ♪ 灯りをつけましょ、ぼんぼりに
      お花をあげましょ 桃の花
      五人囃子の笛太鼓
      きょうは楽しいひなまつり

だ。「まだあるよ」と友人の音楽の先生にいったら、「え、知らんわ。どんなん?」ということだったので、このページを借りて披露させていただきます。

紅いもうせんひきつめて
おだいりさまは上の段
金の屏風に 銀の台


もう一曲。

ひももの花にお白酒
あられ草もち 緋もうせん
おひなさまのおまつりに
みなさんおまねきいたしましょ
http://ww4.enjoy.ne.jp/~aqua98/school/Sinpei/n_hinam.htm

歌詞はどれも似ている。ぼんぼり、もうせん、桃の花……。限られた五段飾りの中でのできごとを歌っているからだろ。



母が保険の外交員をしていたのは、私が小学校4・5年生の頃から中学生にかけてだった。その頃の保険は、死と引き換えに保険金をもらうものだったので、万が一の時のためにとすすめる勧誘先で、「人の死ぬのを待てるのか」と罵声を浴びることもあったようだ。陽気な母は、めげずにこんな替え歌を口ずさんでいた。


春爛漫の花の宴
見もやらぬまに春は過ぎ
保険勧める友もいる
そうだその意気その気持ち
そのその気持で制覇なる



お座りやっしゃ 椅子どっせ
あんまり乗ったら こけまっせ
 (くり返し)

一人が中腰で椅子のかっこうをする。そのひざに次の人が座る。そのひざに、また次の人が……。椅子を重ねていくように、どんどん座っていく。壊れるまで、くり返し歌い続ける。


グッドバイ グッドバイ グッドバイバイ
父さんお出かけ手を上げて
電車に乗ったら グッドバイバイ

グッドバイ グッドバイ グッドバイバイ
三匹生まれた犬の子も
よそへあげたら グッドバイバイ

グッドバイ グッドバイ グッドバイバイ
原っぱで遊んでる子どもたち
お昼になったら グッドバイバイ

http://www.ne.jp/asahi/aaa/tach1394/music/index.htm


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