なつかしのコマーシャルソングの巻 お母さんの歌の巻にリンク おじいさんの歌の巻にリンク 「歌は世につれ、世は歌につれ」なんていいますが、コマーシャルソングほど、 歌うたびに当時の時代が顔を出してくるものはありません。 最近のおしゃれなコマーシャルよりも、 暖かいメッセージを感じるのは、わたしだけでしょうか。 |
★ 福助足袋の歌 夕べみみずの鳴く声聞いた あれはケラだよ おケラだよ おケラなぜ鳴く あんよか寒い 足袋がないから鳴くんだよ おケラにあげよか 福助足袋よ こはぜの目数を ちょっとごらん うらのおばさん 小窓のそばで いつも朝から針仕事 いくら急ごと なかなか縫えぬ 至急ため息またついた おしえてあげよか福助ミシン 縫いよい……?(度忘れしました) http://www.fukusuke.co.jp/mu/mu5.html(waveをクリック) 私が初めて意識したコマーシャルソング……です。 銭湯の行き帰りによく歌っていました。 福助足袋のこはぜは四つ、つまり足首までついているのが「売り」でした。 ★髪の素 ♪ わたしの姉さん嫁ぐ日に きれいな長い髪の毛を 梳かした白い鏡台に ぽつんと残した小さい箱 緑の小箱は、髪の素 母が使っていました、髪の素。 ときどきつむじのあたりにふりかけてもらって、すりこみました。 それしかなかった質素な時代でした。 クリームはポンズ、口紅はコティだったのは、 進駐軍がいた京都の町ならではでしょうか。 祖母は、鬢付け油や椿油を使っていました。 おなかの薬は陀羅尼輔。あかぎれには、 竹の皮に入ったものを火であぶって溶かして、 切り口にすりこんでいました。 石鹸の代わりにぬか袋とうぐいすの糞を愛用していた祖母 (母にとっては義理の仲)は、 元芸者産さんだけあって、肌は、陶器のようにすべすべでした。 ★ マスチゲン(薬) ♪ 血 血 血を増す マスチゲン げんげん元気に歌いましょ みんなの物まね のど自慢 ま、ま、まったく愉快だね なんともダイレクトな歌詞ですねえ。 柳屋金五郎さんの、おどけたような恵比須顔が浮かんできます。 金五郎さんといえばジェスチャー。 共演者の水之江瀧子さんは、元宝塚の男装の麗人。 母は若い頃、水之江さんにあこがれて、プロマイドをたくさん持っていたそうです。 机の引き出しに入れておいたのを父親に見つかって、 「男の写真をかくしおって」とみんな破って捨てられたそうです。 時代ですねえ。 ちなみに、水之江瀧子さんは、石原裕次郎さんを見出した人であり、 ロス疑惑の三浦某さんのおばさんとしても知られています。 生前葬儀をされたのですが、今はどうされているのでしょう。 自分のことを「あちき」とおっしゃっていたのも、印象的です。 ★ ポポンS ♪ ポポン ポポン ポポン ポポン ポポン ポポン ポポン ポポン 家中みんな ポポン ポポン 我が家の子どもたちが小学生のころ、ポポンSは常備薬でした。 あしたは遠足だとか、今日は運動会だったとか、そんな日は、 いつも一錠飲ませていました。 もともと元気な子どもたちでしたので、 ポポンSの効き目を頼っていたというより、親の安心感だったのかも。 私の子どもの頃は肝油でした。 幼稚園でいつももらっていました。 くじらの肝臓から作られているときいていましたが、 ぷーんと生臭かったような記憶があります。 ★ ゴルフ(薬) ♪ パパぴんぴん ママぴんぴん 薬のゴルフで みなぴんぴん 30過ぎたら 薬はゴルフ 丈夫な体 元気な若さ 30過ぎたら薬はゴルフ ゴルフ ふーん、そうなんだ。30過ぎたら、もうお疲れがたまる時代だったのですね。 若さを保つには、30歳で薬に頼らなくてはならないなんて、今では考えられません。 ♪ 村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん という歌もあるように、年齢の感覚が今と比べ、 15から20歳は、ずれているのかもしれません。 これは、うれしいことです。 60歳で定年になってからこそが、自分の人生なのですね。 がんばろう……っと。 ★ ミネビタール(薬) ♪ おうちのパパは年取ったけれど いつも元気で若々しいの 新聞読むにもめがねはいらず 肩こり疲れは知らないし どうしてパパは元気なの? 『ふんふん、おしえてあげようか』 (ここでお父さん熊が小熊をぺろぺろとなめる) 『それはね(セリフ) ♪ 栄養与えて若さを保つ ミネラル ビタミン 肝臓エキス みんな入ってるミネビタールさ だからパパは元気なの』 『四十、五十は働き盛り 若い気持ちで働けりゃぁ こんなすてきなことはない ミネビタールのおかげだよ』 (このあと、「おうちのママ」編があったそうです) ★ミネビタールの歌をこよなく愛していらっしゃるK・Hayashiさま、 歌詞の不明瞭だった部分などを教えてくださってありがとうございます うーん、それにしても、これもシビアな内容。 かわいい子どもの歌声(女性の声優さん)でした。 パパのお年っていくつ? って聞きたくなります。 みんなお疲れの時代だったんですね。 ★花王石鹸 ♪ あごのしゃくれたお月様 おふろの窓からのぞいてる パパといっしょにお湯の中 てぬぐいべろんこ ぶんぶくりん 産湯のときから みんな花王 花王石鹸 花王石鹸 手ぬぐいべろんこぶんぶくりん かわいいですよね、この表現。 銭湯は子どもたちにとって、楽しい遊びの場でもありました。 石鹸箱にタオルをかぶせて石鹸をぬりたくって、 あぶくぶくぶく カニさんだあ、なんてはしゃいでいたものです。 手ぬぐいをお風呂に浮かべて、大きな風船をつくったりもしました。 それをたたいてへしゃげて、真中を指で押すと朝顔のできあがり。 湯舟にタオルをつけても、お咎め無しのおおらかな時代の歌です。 ★ 三ツ輪石鹸 ♪ 輪 輪 輪 輪が三つ 輪 輪 輪 輪が三つ 三ツ輪 三ツ輪 三ツ輪石鹸 ♪ わっわっわっが輪が三つ きれいなハーモニーの女性コーラスが耳に残っています。 石鹸といえば、 花王石鹸、三ツ輪石鹸、牛乳石鹸が市場を占めていました。 ♪ 牛乳石鹸、良い石鹸 のフレーズもなつかしいです。 銭湯でのシャンプーは、花王の粉シャンプー。番台で買うのです。 一回で使い切るのはもったいないので、二回に分けて使っていましたが、 二回目は、しけていて、使いにくかったものです。 ★ 三洋電機 うらのお庭の花のかげ ままごと遊びのお母さん やさしいお母さん 「お宅はどちらのテレビです?」 「うちのは三洋テレビです」 サンヨーサンヨー サンヨーテレビをどうぞ 松島トモ子さんが歌っていました。冷蔵庫バージョンで、 冷蔵庫のドアを開ける松島トモ子さん手がアップになったのですが、 電通の先輩が「あの手は私なのよ」といったので、 入社間もない私は、びっくりしたものです。 先輩は今で言う森公美子さんのような体系だったのですもの。 松島トモ子さんの出演部分は東京で撮り、 冷蔵庫のドアを開けるシーンは大阪で撮って合成されていたのです。 昭和37年ごろの話です。 ★ 森永キャラメル だれもいないと思っていても どこかでどこかでエンゼルが いつでもいつでも眺めてる たんたたた たんたたた たたんと ながめてる エンゼルは男の子か、女の子かという懸賞クイズもありました。 投票で決めたのだったかな? 結局は、どっちだったのでしょう。 エンゼルは、子どもの守護神。 どの子にも一人ずつついていて守ってくれているんだ、 ときいたことがあります。 日本ではお地蔵さま……かな。 のびのびと子どもらしい時代が過ごせる世の中であってほしいです。 ★モナ ぽんとはねて うたってる 丸あるいかわいいあの顔が ぽんとはねておどってる お日さま窓辺でうたってる モナ モナ モナ モナ わたしのモナ 歌詞もメロディも、テレビの画面ではねていた水玉も しっかり覚えているんだけれど、 はて、「モナ」って、なんだっけ? 多分化粧品だったと思うんですが……。 ★ ? 陽射明るい石畳 ゴーとストップ青と赤 自転車 自動車みな止めて かわいい子猫のお通りだ パリの素敵なおまわりさん 今朝も あははと笑ってる これも、モナと同じで、 何のコマーシャルだったか思い出せません。 まだまだ続く |