今日はこんな日

1月17日(金)30年前の記憶。

★整体の定期施術を受けました。今は、月一回のメンテナンスですんでいるのは、幸いです。今日は、施術を受けてみて背中が凝っていることに気づきました。放っておくと支障が出たかもしれません。

下鴨神社の鯉。銀色と朱色が美しいです。

あ、ミノムシの群れ……ではなくて、枯葉でした。

カワセミがいました。毎日、川べりを散歩している人によると、鴨川に架けられたこの辺りの3つの橋と橋の間に、それぞれ1羽ずつ、計3羽のカワセミがいるそうです。

川には、白黒の羽根の鴨がいました。遠くからなので、どっちなのかよくわからないので、パンダ鴨と呼ぶことに。あまり見かけない鴨なので、わくわくしました。

★今日は、買い出しの予定はなかったのに、スーパーに寄ったらついで買いをしてしまい、レジでお金が足りませんでした。カードを使うしかないかと探していたら、「ポイントが貯まっていますよ」といわれました。ポイントって、こういうときに役に立つんだ。

★イカ大根を炊きました。うーがが、「覚えている。赤坂台でよく炊いていたよね」という通り、家族が好きでした。

豚キムチには白菜を追加、もやしもいれました。

ブリの照り焼きなど茶色いおかずのおいしいこと。

★あれから30年経ったのですね。あの日、わたしの住んでいた町でも大きく揺れました。わたしは、とにもかくにも娘たちが眠っている2階にかけあがりました。この間、夫はテレビを付けて「揺れ」について確認していましたが、ニュースに震災のようすが流れ出すまで、時間がかかったことを覚えています。しばらくしてから、ご近所の高齢者だけのお住まい4軒を着の身着のまま訪ねて、インタホーン越しに安否を確認しました。地域で高齢者向けのボランティアをいくつもしていて、よく知っている方々でした。不思議なのは、母たちの様子を覚えていないことです。母たちのことは今でもあれやこれやと昨日のように思い出すのに、震災当日の記憶が抜けていることに驚いています。思い返すに、同居していた夫の母は、落ち着いていたのだと思います。京都でひとり暮らしをしていたわたしの母は、幸い被害がなく平常に暮らすことができたのだと思います。この日は、夫の誕生日でもありました。

ボランティア活動が日本で積極的に動き出したのは、この震災がきっかけだったといわれていますが、その通りだと記憶しています。集会場に集まった支援物資には、家にある不用品の数々もたくさんありました。新しいものならともかく使い古したものも多々あり、罹災地へ送る仕分けに戸惑いました。すべて善意と受け取り、届いた支援物資に不服を言ってはいけないと固く言われました。困ったのは手作りのおにぎり。けっこうありました。日持ちがしないし衛生面で処分するしかありませんでした。ボランティア活動に不慣れで、すべてぎこちなかったですが、それだけ大きな災害がなかった平和の証しだったのかもしれません。

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1943年生まれ
羊年・B型・さそり座
48歳で童話教室に通い始め
54歳で単行本デビュー
80歳の現在に至る

日本児童文芸家協会会員
日本ペンクラブ会員

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