おれの呼び名 |
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おれの母ちゃんは父ちゃんのカメラ店を手伝っている。手伝いながら、 ばあちゃんの世話もして、PTAの役員、地域のボランティア活動もして、 趣味のコーラスもしている。だから忙しい。 「肩がこった」「腰が痛い」が母ちゃんの口ぐせだ。 「腰、踏んげようか?」 おれがそういうと、断ったことは一度もない。 「おおきに、たのむわ」 ごろりと横になった母ちゃんのお尻は、「ワシをしいてる」と父ちゃんが言うだけ あって、ごっつう大きい。 おれは、腰からお尻を通って、足の裏までゆっくり散歩をする。行ったり来たり 、何回もする。兄ちゃんでは重過ぎる。三年生のおれの体重がちょうどいいと 母ちゃんは言う。 「ああ、ええ気持」 母ちゃんは、そのうち、うとうとしはじめる。 (疲れてるんや) おれは、母ちゃんがなんだかかわいそうになってくる。 「そうよ、わたしは、さそり座の女……ムフフ」 母ちゃんが寝言のように鼻歌を歌う。もうすぐ十月。母ちゃんの誕生日が近い。 「なア、母ちゃん。誕生日のプレゼント、何がええ?」 おれは背中の方に移りながら、母ちゃんにきく。母ちゃんは眠たそうな声でいう。 「そうやね。たくやが勉強が好きになりますように」 「そんなん無理や」 「たくやが学校でいじめられませんように」 「いじめられてへん」 「ほな、いじめませんように」 「いじめてなんかいてへん」 「よかった……。それやったら、たくやが病気しませんように」 母ちゃんは、おれのことばっかりいう。 「あんな、なんか買ってほしいもんないのん? ブローチとかスカーフとか」 「お金持ってるのん?」 「持ってへん。そやけど父ちゃんにもらう」 母ちゃんは、「おおきに」といって起き上がった。 「ああ、腰、楽になったわ」 「なあ、何かほしいもん、いうてえな」 「今みたいに、時々、腰踏んでくれるのが、一番のプレゼントや」 「そんなんあかん」 プレゼントいうたら、箱に入れて、きれいな紙で包んで、 リボンをかけて……。 おれには、おれのイメージがあるねん。 「何でもええから、いうてえな」 「ほんまに何でもええのん?」 「ええよ」 おれは胸をはって、耳をすませた。 「あんね、母ちゃんのほしいもんは、母ちゃんのお母ちゃんや」 「母ちゃんのお母ちゃん?」 母ちゃんはうなずくと、遠いところを見るような目をした。母ちゃんのお母さんは、 母ちゃんがまだ五歳だった頃、風邪を引いて死んでしまったんやそうや。 そやから、よく覚えてないんやて。 母ちゃんは、父ちゃんのお母さんや、近所のお年よりのお世話をしながら、 自分のお母さんが生きていたら、いっしょに面倒をみてあげたのに、と残念で ならないそうや。 おれは困ってしまった。母ちゃんのお母さんなんて、売ってるわけがない。 何でもいいといった手前、おれは、引っ込みがつかなくなった。 いよいよ今日が誕生日という日になって、おれは兄ちゃんに相談した。 「あほや」と、頭をこづかれた。 「だいたい、おまえは調子がよすぎる」 「なあ、そんなこといわんと、どうしたらええか教えてえな」 兄ちゃんは、おれとちがって頭がいい。きっといいアイディアを思いついて くれるはずや。 「なあ、一生のお願いやから」 「おれのいう通りにするか?」 「する」 「ほんまか?」 「ほんまや」 「そやけど、おまえにできるやろか……」 「できる」 母ちゃんが喜ぶなら、どんなことでもできる。 「よっしゃ」 兄ちゃんは、デパートの包装紙でおれを巻くと、リボンで結んだ。 「おふくろ、プレゼント届いてるで」 母ちゃんが台所から顔を出した。 「えーっ、これ、何?」 母ちゃんは、包装紙にくるまれたおれを見て、びっくりしている。 「ご注文のもんや。これからこいつのこと、お母ちゃんて呼んでええで」 母ちゃんが大笑いしたので、父ちゃんが店から入ってきた。 「何のまねや?」 わけをきいた父ちゃんは、「ワシの誕生日が楽しみやな」といった。 「父ちゃんはおばあちゃんがいるやろ」 「そらそうや。二人はいらん」 父ちゃんは首をすくめて、店に逃げ込んだ。 それ以来、おれは母ちゃんから「お母ちゃん」と呼ばれている。 ややこしいので、おれは母ちゃんのことを雅子と呼ぶ。 「お母ちゃん、いっしょにお年よりの会に行こう」 断りきれずについていった老人会で、今や、おれはアイドルのような人気者だ。 大福を食べながら渋茶をすするかっこうも板についてきたと、 お年寄りたちが笑う。 おれは、ここでも「お母ちゃん」と呼ばれている。 ……ま、ええか。 |