ええがな映画 

2009年 映画館で観た映画

独断と偏見のとんぼ評
                                     2007   2008
ココ・シャネル

孤児として育った彼女は、愛されても身分の違いから正式に結婚できない自分に見切りをつけ、自立したいと願います。といってもパトロンなしでは何もできないそんな時代でした。「つぎつぎ男を手玉にとって」と口さがない上流社会の女性に陰口を叩かれながらも、ひらめきを行動に移していきます。

暮らしも、ファッションも、男性中心の古い仕来たりに縛られていた時代に、自分の生きるべき道を見つけ、時代がそれを受け入れたというか、ニーズがあってこその成功でした。そういう意味では、いい時代だったのですね。事業には成功したものの、本当の愛に気づいたときは……。

若き時代のココを演じたバルボラ・ボブローバという女優さんも、人生の後半を演じたシャーリー・マクレーンもそれらしくて、ふたりの間に、違和感がありませんでした。
セブン・デイズ

誘拐された娘の命と引きかえに、敏腕弁護士の彼女に突きつけられた要求は、「死刑囚を無罪にしろ」という難題でした。死刑が決まる裁判は7日後。時間がありません。若い娘を惨殺した死刑囚を無罪にするには、真犯人を探さなければならないのです。しかもたった7日で。凶器のへらさえ見つかれば、真犯人がわかるのですが……。複雑に絡んだ人間関係。それにしても、いったいだれが犯人の無罪を願っているのか、明かされないまま、謎解きが展開していきます……。

若い娘の惨殺死体の映像も残酷極まりないうえ、誘拐された少女の立場もアマルフィのように甘くありません。少女をも恐怖に巻き込んでいくのです。目を背けたくなるシーンがあったからこそ、映画を観終わってそういうことだったのかと、驚きで胸がいっぱいになりました。

ハリウッドでのリメイクが決まったそうです。母親としての思いがこめられた見事な作品です。
MW−ムウ− 

MWのテーマは、アマルフィと同じく、政府への不信と告発です。同じ葛藤を背負って成長していったふたりの少年は、間逆の心をもった青年になってしまいました。MWの影響を受けて体も心も変わってしまった青年を玉木宏が、信仰に救いを求めて牧師になったの青年を山田孝之が好演。手塚治虫の原作は、更に悩みが深い……と感じました。
そんな彼なら捨てちゃえば?

小さいころ、男の子が意地悪をする。「それは、あなたに気があるからよ。あなたが、かわいいからなの」。そういわれて育った女の子は、お年頃になっても、ボーイフレンドの真意をポジティブにしか受け取れません。はじめてデートの別れ際に、「楽しかったよ」「また電話するよ」といわれたにもかかわらず、彼から電話が来ないのは、「忙しいからのよ」「照れているのよ」「勇気がないのよ」「わたしなんか、何週間も待ったわ」と、すでに恋人や夫のいるガールフレンドもなぐさめてくれます。4人の愛の行方は、いったどうなっていくのでしょう。

元題の「彼はあなたに興味がない」の方がしっくりします。
アマルフィ 女神の報酬

予想のつかない展開がたいへん魅力的な、スケールの大きい映画でした。

わたしは、もともと日本映画が好きです。 「阿弥陀堂便り」や「武士の一分」、「送り人」、最近では「剣岳」など、日本映画で描いている日本の四季と日本人の魂の美しさに引き込まれてしまいます。ゆっくりとしたテンポも心地よく、映画を観たあとは、日本に生まれてよかったとしみじみ思えてくるのです。この映画は、そういう意味での日本発信映画ではないのですが、日本という枠から飛び出して堂々と外国映画と肩を並べられる上品なサスペンス映画になっていると思いました。テーマもしっかりしていました。
ハリーポッター謎のプリンス

魔法学校に戻ったハリーポッターは、急きょ魔法薬学の授業を受けることになり、棚から古い教科書を借ります。その教科書の書き込みは素晴らしく、ハリーは、半純血のプリンスのものだったという教科書のとりこになります。

残念だったのは、重要人物の死もあっけなく、謎だった半純血のプリンスの正体がわかる間もなく映画は終わりました。「え、もう終り」という声が、あちこちから聞こえてきました。まさかの人物の裏切りや、闇の帝王の少年期が解明されたものの、ハリー、ロン、ハーマイオニーのそれそれの恋話で終わった感じがします。

ハリーたちが魔法学校を出て、外の世界で闇の帝王と戦う次の物語へのつなぎにすぎなかったというか、これまでのようなわくわく感はなかったです。期待していただけにちょっとがっくり。
ごくせん  80

「おまえたちは、わたしのかわいい教え子」、「かわいい教え子を守るためには、容赦しないよ」、「夕日に向かって走ろうよ」(昼間なのに)、「わたしのうしろからついて来い!」、「おてんとさまが見ているんだい」、「本当の友だちというのはな……」などなど、普通なら歯の浮くようなヤンクミ先生のセリフが気持ちいいんです。子どもたちにうざいと思われても、正面から子どもたちにそういって、いざというときは体を張って守ってくれる先生がいる。それだけで、「まっとうな道」に戻ることができるんです。
サガン

「悲しみよこんにちは」という副題がついていましたが、この映画は同じタイトルの小説の映画化ではなく、サガンの一生を描いたものでした。18歳でデビューして世界をあっといわせたサガンは、高額な印税を受け取ります。「金はみんな使ってしまいなさい」という父親のいう通り、お金にあかしての自由奔放な生きざまや交友関係は描かれていましたが、作家としてのきらめくような才能は、まったく描かれていませんでした。知りたかったです、作家としてのサガン。ひとり息子を拒絶して自分の愛にだけ生きた女性の書いた本は、今も、人の心を打つのでしょうか……。
ディアー ドクター

無医村にやってきて、たとえな夜中でも駆けつけ、病院に来ない人はこちらから訪問し、村の人々の信頼を得ている医師がいます。延命医療を押し付けるのではなく、その人に合った臨機応変な治療さも、信頼される大きなポイントです。そこに若い研修医が、赤いスポーツカーに乗ってやってきます。最初は、いやいやだったのですが、そのうち、町の大病院ではとてもできない地域密着型の医療の素晴らしさに、自分も将来、ここに来たいと願うようになりました。神や仏よりも大切といわれていた医師が、突然、姿を消したのです。医療とは何か、じっくり心に語りかけてくれます。

鶴瓶も香川照之も、余貴美子も瑛太も、八千草薫も、井川遥も、みんな素晴らしかったです。はまり役でした。
いけちゃんとぼく

父や母、友だちのことで悩んでいる少年のそばにいつもいて、話相手になってくれるのはいけちゃん。いけちゃんは、スライムのように自由に形や大きさや色が変わるボールで、他の人には見えないのです。いけちゃんの正体は、映画の終盤にわかるようになっています。

小学生の子どもが主人公の映画なのですが、子どもたちには、あまり見せたくありません。小学生間の暴力シーンが高校生並みで、学校内で暴力行為があっても、先生は無関心。それがブラックジョークで大人にはクスリと来るところなのですが、子どもにはちょっと……。もともと自分本位だった父の死に方や、母の子育て放棄、それに、主人公が、はらいせにうどんやの子をいじめるシーンも、蝶やとんぼをつかまえて頭や羽をむしることでストレスを発散するシーンもいただけません。原作が漫画だからだと思いますが、実像にするとちょっと……です。少年の未来が、老人になった末期にいきなり結びつくのも、生きていく希望を持つことがえきるでしょうか。わたしの中では、R12の映画です。
劔岳 点の記

ワイドスコープで観る日本の自然の美しさにため息がでます。山の厳しさに怖れを感じます。そして、支えあう人の心に打たれます。「そこに山があるから登るという」という登山家の言葉は有名ですが、物語の中にもそういう気持ちで登る、やや鼻持ちならない日本山岳部と、地図の測定のために任務として登らなければならない陸軍陸地測量部が登場します。軍は、「日本山岳部なんかに先を越されるな」と、厳しく命令します。が、念願の初登頂を果たしても、軍はあることを理由に評価してくれません。「何をしたかではない。何のためにしたか、それが大切だ」と悟った主人公の言葉が印象的です。

登頂を競っていた日本山岳会のメンバーが、その偉業を心から評価してくれます。これは、「真夏のオリオン」も同じでした。敵味方に関係なく、共に戦ってきた相手の行いに敬意を払うことは、人にとって大切なことだと共感しました。
真夏のオリオン

第二次世界大戦末期のことです。潜水艦で戦いにいく彼に、恋人がお守りとして贈ったのは、自身が作曲した「真夏のオリオン」というオリジナルの譜面でした。イタリア語で、「オリオンよ愛する人を導け。帰り道を見失わないように」というメッセージがそえられていました。夏の夜空に輝くオリオン星座に祈りをこめたこの曲が、アメリカの巨大戦艦と不利な条件で戦うイー77艦の乗組員たちを助けることになったのです。

潜水艦の若き艦長の冷静な読みと知恵もさることながら、乗組員たちの艦長への信頼感と団結。二筒の魚雷の意外な使い道に、魚雷に乗るべく乗船していた若者は抗議します。それに対して、艦長は、「みんな死ぬために戦っているのはない、生きるために戦っているのだ」と命の大切さと、「今から始まるのだ」とあきらめない心を諭します。

力尽き果て、海上に浮上したイー77艦に向けて砲筒を構え、「撃て」の合図を待っている敵国アメリカの艦隊の乗組員たち。それぞれの国の艦長のとった行動は、胸を打ちます。
愛を読む人

15歳の少年にとって、はじめての恋の相手は年上の女性ハンナでした。ベッドを共にしながら彼女に朗読する時間は至極のときでした。「自分で読むよりも読んでもらうのが好き」という彼女のために彼は、いろいろな本を朗読します。その彼女が彼の前から突然、姿を消してしまいました。

8年後、法学生の彼は、法廷で彼女に再会します。戦争中に犯した罪が暴かれ、裁かれていたのです。ある事実を打ち明ければ、軽い刑ですむのですが、彼女は罪が重くなるにもかかわらず、その事実を心の中に封じ込めてしまいます。彼女のその秘密を知っている彼は、証言するべきか悩んでしまいます。

弁護士になった彼は、刑務所にいる彼女に送るために、朗読をテープに吹き込んで送ります。やがて、彼女が出獄する日が来ました。彼女はその朝……。
インスタント沼 

庭に河童が出ると信じることができるのんびりした母に反して、現実派の娘は、勤務先の出版社がつぶれてしまって、何をやってもうまくいかない泥沼状態。河童の話から思いだすのは、子どものころ、いろんなものを投げ入れた、今は埋められて跡形もない沼のことです。

「人生うまくいかないときは水道の蛇口をひねれ」と奇抜な発想方法を教えてくれた男は、どうやら父親らしいのです。その男が持っていた蔵の鍵とありったけのお金と取り替えたのですが、蔵の中からは、お宝どころか土がいっぱい流れでてきました。

不思議な力を信じてみることで、人生観が変わるという物語らしいですが、結局、彼女の人生を変えたのは、いっしょに不思議を体験した相手の存在だったのかな。
余命一か月の花嫁

どう答えれば相手を傷つけず、心に届くのか……。乳がんを宣告された千恵と、千恵を見守りつつ、いっしょにがんばっている太郎の会話を聞きながら、言葉の大切さを感じました。検診さえ受けていたらと千恵は呼びかけています。

タイトルがストレート過ぎるので、観るのを躊躇していました(正確には、花嫁になったその日に亡くなっていました)。「ガマの油」に出ていた瑛太さんが新鮮だったので、この映画も観ておこうと思ったのですが、彼はもちろん、榮倉菜々さんも自然体で、とてもいい映画になっていると思いました。

それにしても、瑛太さん、この映画では、病院の付き添いベッドで泊り込みますが、「ガマの油」では、間逆の付き添われる側を演じていました。続けて観ても、違和感はありませんでした。彼は、本人がしゃしゃり出ないというか、透明感のある俳優さんで、たとえば次に侍を演じたとしても、悪役やコメディを演じても、今の役があとを引きずらず、次の役にすーっとなりきれる感じがしました。

チェック。新鮮が売りの屋久島の首折れさばは、塩焼きではなく、刺身を食べて欲しかったし、撮影といえども、もののけの森のコケの上に、立ってはいけないでしょう。
ガマの油

株で何億も稼ぐと豪語している主人公は、突然息子を失って、すべてがむなしくなってしまいます。そんなある日、幼いころ出あったガマの油売りの夫婦を思い出します。「お母ちゃんも、お父ちゃんも金の家にいる」と言った幼い少年の言葉ですべてを察したガマの油売りは、「仏壇をきれいにして、たっぷり水をあげなさい。金の家の人たちは、坊やのことを守ってくれるから。お願いしてはだめだよ、ありがとうと心をこめていうんだよ」と諭してくれたのです。また、がまの油売りは、こうもいいます。「人は二度死ぬ。一回は心臓が停止したとき。二回目は、思い出してもらえなくなったときだよ」。心の底に埋もれていた幼いころ聞いた言葉が大きな力になって……。昔の物売りは、物を売るだけではなかったのですね。

「息子の恋人」と、その「おばあちゃん」、「問題を抱えた息子の友だち」、「ガマの油売りの夫婦」、「幼児期の主人公」、物語の展開に必要、かつ無駄のない人物設定、よかったです。ただ、「奥さん」が少しも取り乱さないことにリアリティの欠如を感じ、これはファンタジーなのだと思うことで、納得しました。
ROOKIES 卒業  70

さまざまな葛藤を抱えつつも甲子園を目指す野球部員の面々と、アクシデントがあるたびに、みんなをはげまし、束ね、夢の力を信じさせる教師との、熱い物語です。夢は叶うものだと背中を押しつつ、生徒を信じてくれる先生がいる素晴らしさが心地よいです。決勝戦の白熱化した試合よりも、卒業式のあと、10名の部員からの先生へ贈ることばが、それぞれ実によかったです。その言葉を受ける先生の表情も、すてきでした。

♪ 仰げば尊し、わが師の恩……。卒業式に、この歌を心から歌える生徒は幸せです。また、この歌を歌ってもらう先生方も、胸がいっぱいになることでしょう。日本中の中・高校生たちに、心の底から歌ってほしいです、「仰げば尊し」。
お買い物中毒なわたし

キラキラしたきれいなものがどんどん買える「魔法のカード」にあこがれてしまった少女が、お年頃になりました。何枚ものカードを駆使してブランド物を買いあさった結果、すべてのカードが支払い不能に。それでも、買い物がやめられません。彼女はお買い物中毒になっていたのです。苦し紛れに「グリーンスカーフ」のペンネームで書いた経済記事が思わぬ反響を呼び、社会現象にまでなって、テレビにも出ることになりました。だけど、借金取りに追われる状況は変わりません。恋も友情もしっちゃかめっちゃか。でも……。

日本でなら悲惨な結果に終わりそうなエピソードなのですが……。あ、そういえば、日本にも同じようにブランド物を買いあさって借金まみれの作家がいました。中村うさぎさんです。この人もめげない人です。
重力ピエロ

幼いころから、兄を信頼してきた弟と、弟を見守ってきた兄との、だけどべたべたしない距離間ある「絆」が、うまく描かれていました。弟は自分の中に潜んでいる苦悩を、鋭利な頭脳を持つ兄へメッセージとして送り続けます。まさかのメッセージは、身近すぎる兄にはわからないのですが、弟を昔からストーカーし続けている女性が気づきます。心に残る作品でした。
ウォーロード 男たちの誓い

清時代の実話を元にした物語だそうです。義兄弟を契りでもある投名状には、互いの命を守ることはもちろん、もし相手を殺傷したときは、同じ報いを受けると記されています。戦いながら国の未来のために実力を握っていく男と、野望よりも戦う仲間を大切にする男。その狭間で、折々に正しい方の味方につく男。義兄弟の契りを結んだ3人の男に、ジェット・リー、アンリー・ラウ、金城武。3人が三様に魅力的に役を演じていました。
消されたヘッドライン

別々に起きた事件が実はつながっていることが、わりとゆっくりしたペースで解明されながら物語が進んでいくので、取り残されることはありません。物語の展開もさることながら、新聞の特ダネを求める編集長と、ゴシップ的な暴露ネタより、同じ事件を深くえぐっていい記事を書きたい記者とのやりとりがおもしろいです。昨今、人気が落ちている新聞も、いい記事さえ書けば読んでもられるという記者の信念が、ウエブサイトで暴露ネタを書いていた若い女性記者を目覚めていく過程もわたしは好きでした。

どんでん返しは、意外性があったわりにはショックにつながりませんでした。緊迫感がなかったのと、テンポがゆっくりしていたからでしょうか。
鈍獣

殺しても、殺しても、死なない男は、友人を題材に暴露小説を書いているのに、「書いていない」ととぼけて白を切りとおせる男でもあるのです。原作は漫画本で、しかも宮藤官九郎脚本なのですから、おもしろいことはおもしろいのですが、警官がその筋の男が経営するホストバーに入り浸りなのは、友人の間柄といえどもおかしいし、ましてや殺人にも加わるのはあまりにも変。ガードマンならありうるかも(ごめんなさい、あくまで役柄としてです)。とはいえ殺人を犯しても罰せられないのですから(結果未遂とはいえ)、この映画のどの部分が、文化庁推薦なの? と首をかしげてしまいました。
60歳のラブレター

アラウンド60の物語です。口やかましくけんかをしながらも心の底では頼りあっている夫婦もいれば、一度もけんかをしたことがない理想にも見えるが実は冷め切っていたり……。また、妻に死別した男と、今まで結婚するチャンスのなかった女との出会いもあります。60歳という年齢は捨てたものではありません。まだまだやり直しオーケーです。恋も人生もこれからなのです。

登場する3人の男と3人の女。シャッフルして組み替えればどうなるのだろうとふと思い、試みました。身近にいる組み合わせもあり、なかなかおもしろいです。
グラン・トリノ

ウォルトは老妻と死別したことがきっかけで、隣人や牧師が何かにつけてかかわろうとしてきます。煩わしくて悪態をつきつつ拒否をしているのですが、頑なな心を少しずつ開いていきます。その微妙な変化も見所のひとつです。何かと気を配ってくれる隣人の娘の弟を、従兄弟のチンピラから守ろうとしたことで、報復として娘が暴行を受けます……。このままでは、生涯、姉弟は脅かし続けられるでしょう。ウォルトは姉弟を守るためにある決心をしました。その前に、ウォルトは亡妻の希望通り懺悔をしました。他愛もない内容でした。本当に懺悔したいことは、心の奥に仕舞っておかなければならないのかもしれません。
子供の情景

アフガニスタンの少女バクタイは、となりの家の少年から教科書に載っている物語をよんでもらって、何が何でも学校に行きたくなりました。その情熱のすごさ。子守を頼まれた妹の足を縄でしばりつけ、ノートを買うために、悪戦苦闘します。学校を目指してどこまでも行くエネルギーは見上げたものです。強いです。したたかです。帰り道で、戦争ごっこをしているタリバンの子どもの捕虜になってしまいますが、めげません。

学校で学びたいと願う少女の夢も、戦士にあこがれる少年たちの歪んだ夢も、一発の爆弾で粉々になってしまう……。結末のシーンには、そんな暗示が含まれているように思えました。
バオバブの記憶

何千年も前から大地に根を張り、人々を支えてきたバオバブの樹たち。歳月を経た樹木には精霊が宿り、その下で、医師や占い師が人々の体治療や心のケアーをしてきたのです。それどころか、葉は粉末にして食料に、実はジュースに、皮は割いて縄になり、枝は患部に当てる薬になります。そこにあるのが当たり前の身近な存在だったバオバブが切り倒され、そのあとは宅地に……。

人々の暮らしの中のバオバブを捉えることで、安易に環境破壊をしてしまう人間の傲慢さがうまく描かれていました。
天使と悪魔  60

犯人を追っての謎解きは、こじつけを感じる部分もいささかありましたが、ストーリーのどんでんかえしの見事さ。これは、すごいです。すっかりだまされてしまいました。が、「ダビンチ・コード」のような、「震えるような発見」はありませんでした。

それにしても、宗教は、単に神を信じるとか信じないという単純なものではないのですね。人の神にすがりたい気持ちの上に繁栄した組織の、権力の奪い合いというか……。不信に陥ってしまいます。
スラムドッグ$ミリオネア  

インドのスラム街に生まれ、孤児となった兄弟にとって、生きていくことは過酷でした。だれも守ってくれません。ごみをあさり、ごみの山の中で暮らし、兄弟で助け合い、大人の魔の手から逃げ延び、盗みを働きつつも年を重ねていくうちに、兄と弟の進む道は、大きく異なってしまうのでした。

まっすぐな魂をもったまま青年になった弟が、クイズ・ミリオネアに出場したのは、子どものころ逃げているうちにはぐれてしまった初恋の少女を探したい一身からでした。クイズの答えは、必死で生き延びてきた道に転がっていたのです。やくざな道に進んでしまった兄は、テレビに出ている弟の、いつまでも変わりなく純真な心でいる姿を観て、償いの気持ちから、危険を承知で弟の願いを叶えてやろうと決心します。
マーリー世界一おバカな犬が教えてくれたこと

手に負えないほどやんちゃで好奇心の強いラブラドールレトリバーの子犬マーリーは、しつけ学校を、その場で退校になるほど、人の言うことを聞きません。それは成犬になっても同じで、時には、飼い主が、マーリーのせいでなにもかもがめちゃくちゃ。こんな犬はもういらないと思ってしまうこともありました。が、年をとっておとなしくなったマーリーを見て、彼がどんなときにも家族の一員として、いなくてはならない存在だったことがわかってきます。それはマーリーにとっても同じだったにちがいありません。

人間より早く老いるペットの最後をどう看取るか、それは飼い主に委ねられます。自然死がいちばん望ましいのですが、選択に迫られるときも、きっとあることでしょう。
花の生涯―梅蘭芳(メイランファン)

京劇は中国の伝統芸術で、所作を変えるということはタブーでした。師の反対する中、梅蘭芳が舞台で試みた所作が大反響を得ます。が、師は頑なに許してくれません。

残念ながら、わたしは15分ほど遅れたため、幼少時代のエピソードは観ることができませんでしたが、彼は、祖父の時代から続く京劇の名門の出らしく、青年時代の梅蘭芳の女形は、それはもう美しくて、吸い込まれそうでした。

ところがいきなり結婚をするのです。ほんといきなりです。布石は、まったくなしです。そのシーンから、梅蘭芳を演じる役者が代わってしまいました。彼こそがこの映画の看板スターなのですが、青年時代の梅蘭芳があまりにも美しかったので、がっかりしました。日本軍が北京に来たことで夫妻は上海に逃げるのですが、その列車の中で、初めて3人の子どもがいたことがわかったのですが、これも唐突でした。子どもたちは、京劇を継いだのでしょうか。それも気になります。
トワイライト 初恋

ベラが転校先の高校で出あったエドワード・カレンは冷ややかで、人間とは思えない瞬発力と腕力があるのです。それもそのはず、彼はバンパイアなのです。お互いにひかれ合うのですが、バンパイアが人間に恋をするには、特別な自制心がいるのです。ふたりの恋の行方は……。ふたりの愛を軸に種族、家族問題がうまく描かれています。

それにしてもカレン家の面々の魅力的なこと。超能力があって、永遠の命があって、菜食主義というか、食べなくても生きていられる、まるでサイボーグのようにかっこいいんです。しかもやさしい♪
レッドクリフU 未来への最終決戦

敵兵の数80万人。船200艘。戦うには不十分な兵の数を補うのは知恵。たった3日で10万本の矢を集めるという不可能なことすら可能にするには、風をよみ、自然の力を味方にする知恵なのです。味方を裏切ることも敵を欺くための策略だったのですが、それも信頼し合っていればのこと。勝利を信じ、ひるまず、結束することが勝利へとつながっていきます。

戦いのシーンは入り乱れて敵か味方かわかりづらかったです。戦いが終り、満足感より虚しさが残ります。まさに、国、敗れて山河あり。城、春にして、草木深し……です。そういう意味で、これから戦うぞというパート1の方がよかったかな。
ザ・バンク−堕ちた巨像

TBBC銀行は世界的な巨大ネットワークを持っていて、国防や情報、政治全体をサポートしてくれるにもかかわらず、金銭的な見返りは一切しなくてもいいというのです。兵器などをどんどん斡旋して莫大な借金を負わせようという魂胆があるからなのですが、実態を暴こうとするとしようとすると見えない力でうやむやにされて、時には捜査官が殺されてしまいます。トップの人間を処罰しても、銀行の組織があるかぎり「悪」がはびこるというおそろしさが描かれています。
ベッドインストーリー

かっては父親ものだったボテルで、今は清掃員として住み込みで働いている若者が、一週間、姪と甥のベビーシッターをすることになります。一日の半分は、ママが校長先生をしている学校の仲間が分担してくれるとはいえ、子育て経験のない青年は、どう子どもを扱っていいかわかりません。姪や甥も心を開いてくれません。青年は、自分が幼いころ、寝る前に父親がお話をしてくれたことを思い出します。

ベッドに入った姪たちに聞かせる物語の結末は、「そんなのだめ」と子どもたちが変えてしまいます。その物語とそっくり同じことが、翌日起こることに、青年は気がつきました。
ドロップ

私立中学校では不良になれないと、公立中学に転校してしたヒロシを登校初日に待ち受けていたのは、番長とのタイマンでした。ぐうの音も出ないほどコテンパアにされるのですが、「いっしょにラーメンを食べに行こう」とグループに受け入れられます。思いっきりあばれ、とことんドロップアウトしてしまう。自分でしっかりけじめをつける自信があるなら、男子、こんな青春もありかもと思いました。笑いと涙と感動の物語です。

エンディングに事実とはかなり異なりますと書かれていましたが、品川庄司の品川ヒロシの自伝だそうです。登場人物に無駄がないというか、すべて必要だから出てきている人物設定にわたしは、うらやましく思いました。才能を感じました。
相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿

今回はタイトルにもあるように、米沢守の事件簿で、「相棒」シリーズでおなじみの杉下右京と亀山薫はエキストラ的存在で、すっと通り数回過ぎただけでした。無言で通り過ぎるだけでもオーラがあふれていて、このふたりのやりとりが観たいと思いました。ごめんなさい、米沢守さんと相原誠さん。別におもしろくなかったわけではないのですが、がっかりしたことは否めません。
ダウト   50

ニューヨークにあるカソリックの小学校の校長は厳格なシスターで、子どもたちから怖がられています。それに対して、神父は、時代と共に教会も変わらなければならないという進歩的な考えを持っていて、子どもたちからも親しまれています。教会での神父の説教は、象徴的でどれもなかなか素晴らしかったです。

ところが些細なことから、シスターは神父に疑いを持ってしまいます。証拠はありません。長年の勘です。ふたりは面と向かって白黒をつけることになります。その疑いとは? 果たしてどちらが正しいのでしょうか。
歩いても、歩いても

家族って一体何なんでしょう。子どものころ、親の存在は絶対的であったはずです。成長と共に、親子というより、個個の関係になると疎ましくなり、なかなか思うようには心が繋がらないのは、いずこも同じなのですね。長男の命日に集まった家族のために、母親が目いっぱいごちそうを作っています。それを手伝う姉一家とはうまくいってるようにみえるのですが、次男一家とは、かなりギクシャクしています……。距離が近ければ近いほど、ほんとうはもっと気を使いあわなければならないのかもしれません。親が死んで一件落着というのはさみしいかぎりです。
ホノカアボーイ

ハワイ島の北にホノカアという町があって、かって日本人移民として活躍した人たちが余生を送っていました。そこでは時間もゆったり流れていて、人々がのんびり暮らしています。50年前に夫に先立たれたというビーばあさんの口ずさむ歌は、どことなくさみしげです。♪ハワイ、ハワイと来たけれど……。故郷を思いつつ異郷で人生の終りを迎えようとしているビーばあさんの前に現れたのは、生きづらい日本からやってきた若者レオ。レオにごはんを作って食べさせているうちに、ビーばあさんは失った日々を取り戻したように思えたのですが……。

ちょっと残念なのは、ビーばあさんが茶目っ気のあるいたずら好きというのが、あまり感じられません。それなので、レオがガールフレンドとごはんを食べにきたときのいたずらが悪意にしかとれなかったことと、いきなり風になってしまったということが、すとんと落ちませんでした。何よりもその後、レオが生き馬の目を抜くような日本で暮らすことができるようになったのかも、あいまいなままでした。
ヤッターマン

実写とはいえ、登場人物はすべてコスプレなので、アニメを観ているようでした。桜井翔くんのヤッターマンは、まるで雑誌から抜け出したようにそっくりで、かわゆかったです。深田恭子のドロンジョもかわゆいのですが、お色気不足、したたかさ不足。手下のふたりは、なかなかよかったです。子どもたちには楽しいかも。でも、それにしては、ちょっとエッチな部分もあったりして。困りますねえ。
ドラゴンボール

原作とかなり違うようなのですが、ま、それはともかく、ストーリーが単純というか、シンプルすぎるきらいはありました。2000年目に封印をとかれた悪の権現である大魔王ピッコロがあまり怖くないのです。7つあるはずのドラゴンボールがいつ揃ったのかも、あいまいでした。ドラゴンボールが揃った時点でひとつ願いを叶えることができるのです。結果的にはあれでよかったのですが、ほんとうは人類のための大きな願い事があって、それを願うべきかこちらを選ぶか悟空の葛藤があってもよかったかな。ドラゴンの登場もあっけなく、あれで終り……? 達成感がなかったです。
ジェネラル・ルージュの凱旋

人の命を守るべき神聖な医療の場で、業者と医師との癒着があるようです。そんなさなか、問題の業者が飛び降り自殺をしてしまいます。救急医療の場で賄賂の実態があったか、なかったか、告発の怪文書を中心に物語が進められていくのですが、なかなかおもしろいです。が、人がひとり死んでいるのに、それが自殺なのか他殺なのか警察も入らず、おざなりにしていたように思いました。

前回と同じように、さして重要な登場人物でない人間と棒つきキャンデーが、謎を解くキィワード。次々運び込まれてくる救急患者に張られる赤・黄・緑・黒のシールの意味は……。その判断は重いです。
つみきの家

アカデミー賞を受賞したというので観に行ったのですが……。思い出を「長さ」ではなく、「深さ」で現したところに、作者の「ひらめき」と「きらめき」を感じました。水面が上がっていくのは温暖化のせい……だと、環境問題を暗に匂わせたところが評価されたのかもしれません。話題にはなりませんが、ナレーターは長澤まさみでした。
パッセンジャーズ

飛行機の墜落事故の原因を追求することが、生き残った5人のセラピーになると信じているセラピストのクレア。航空会社はパイロットのミスだといいはりますが、生き残った人たちの中には、墜落前に炎を見たという人もいます。グループセラピーしているうちにひとりずつ消えていくのは、航空会社が証言をさせないための陰謀なのか……。どことなく、ミステリー仕立てになっています。

最後に真実がわかったとき、そういうことだったのかと、クレアを想う人々のやさしさに涙があふれてとまりませんでした。無念な事実を受け入れるには、それなりの時間が必要なのですね。わたしの場合、どうなんでしょう。49日に思いを重ねて、考えさせられました。
『刺青奇偶』(シネマ歌舞伎)

「奇偶」と書いて、ちょうはんと読みます。「丁半」と書かないところがなかなかいいです。というのも文字は違いますが、博打がやめられなくて故郷を捨てた男と、出会う男のすべてにだまされ莫大な借金を背負わされた酌婦の出会いは、まさに奇遇かなと思えるからです。そのふたりの間に育った情愛に泣かされました。歌舞伎を画面で観ると、遠い三等席では見えないところまで手に取るようにわかり、はまりそうです。
カフーを待ちわびて

カフーとは、沖縄の言葉で「良い知らせ」のことだそうです。沖縄のゆったりした空間と、なんとも耳当たりのいい方言(意味は、字幕がないとさっぱりわかりませんが)と、暖かい人の心にふれ、やさしい気持ちになります。霊感を持った産婆のおばあの存在がなんともいいんです。

自分の幸せより人の幸せを願う青年は、体と心に少年時代からの葛藤を抱えています。がまんできないことがあれば、「1、2、3」と数えるようにと教えてくれた母。たいていは、数をかぞえているうちに怒りはおさまるのですが……。

ラブストーリーなのですが、青年が純真なだけにじれったいのです。観客にも「1、2、3」の辛抱がいります。が、最後の展開で、青年の未来が輝くのが見えました。「待ちわびて」というタイトルが、じわじわと心に沁みてきました。おばあ、よかったですね。
ワンダーラスト  40

マドンナの監督作品というので、観たいと思っていました。といってもマドンナのことはあまりよく知りません。3人の登場人物がすべてマドンナの分身だと書いてあるのを何かで読んで、興味を持ったのです。

3人のうちのひとり、ホリーの夢はバレーリーナー。でも現実がストリッパー。ジュリエットの夢はアフリカの子どもたちの救済。でも現実は、勤務先の薬局の万引き常習犯。AKはミュージシャンを夢見ているのに、現実はSMの調教師。それも生きていくためにはしかたがないことです。でも3人は自分の夢に向かって努力しています。めげずに努力していれば必ず、いつか……という思いで。

生きていくためには、どんな仕事についていても自分を蔑むことはないのです。が、それだけでは、というのがマドンナのメッセージです。生まれたからには夢を持ちましょう。その夢は初めから手に入るわけではなく、無からつかんでいくのです。

AKと同じアパートに住んでいる詩人は、視力を失ったため生きる気力を失っていますが、3人の刺激を受けて再び詩作を始めるのです。人生で必要なのは夢のほかに、夢を語れる仲間なのだと感じました。
反恋愛主義

劇脚本家のドラは、恋愛相手の弁護士には妻子がいたことで、男は信用できないと思っています。結婚はしたくないけれど子どもはほしい。そのために、後腐れがないセックスをしたいと願っているのです。親友のゾフィは女優。恋愛依存症で、どんどん恋人を取り替えています。そんな彼女に相談して、インターネットで相手を募りますが、とんでもない相手ばかり。

ゾフィは、今が排卵期で急ぐのです。彼女に恋しているパン職人に目をつけてもみました。いっしょに仕事をしている作曲家が、それらのことを踏まえたうえに、プロボーズしてきました。いよいよ作曲家とカナダに経つ日に、彼女は自分の気持ちに気づきます。
罪とか罰とか

はちゃめちゃな映画です。例えば、連続殺人犯が警察官になっていて、それを副署長が黙認しているのですから、善とか、常識とか、正しいとか、秩序とか、償いとか、そういうことは脇において、何にもとらわれないで観なければなりません。疑問に思わないことです。コミック漫画を読むように、流れに乗って、楽しめばいいのだと思います。

売れないがけっぷちグラビアアイドルの主人公が一日署長になることで、ばらばらに起こったアクシデントが、ひとつひとつつながっていって、ジグゾーパズルをうめていくような面白さもあります。が、できあがった絵が好みかどうかは、それぞれです。一日署長の特権で、気に入らなかった人間をみんな拘置所に入れてしまうなんて、ある意味、爽快です。

マネージャーの存在がなかなかよかったです。彼女だけが唯一常識的というか、正しい人間でした。
旅立ち

北海道出身の歌手松山千春が23歳のときに書いた自伝小説「足寄り」の映画化です。

彼と父親との関係。彼の才能を見出した竹田さんとの絆。歌ができるまでの風景。友だち。人生観……。そうなんです。彼の歌も心打ちますが、トークが心を揺らします。「成功への道は、夢を持ち、信じること。そして努力すること」。「人生はゲームのようなもの。今はその途中なんだよな。やっているうちに見えてくることもあるし、落ち込むこともある。でも電源を切ったらおしまいだよ。ゲームオーバー」(正確ではありません。だいたいこういう意味でした)と、あきらめてはだめ、生きなければならないことを彼独特の表現で話しかけています。

難をいえば、千春を演じた大東くん、ハンサムすぎます。でも演技はうまかったです。
ブラッド・ブラザーズ

中国の貧しい田舎に純朴な3人の若者がいました。家族思いで正義感の強いフォン。気の優しいフー。フーの兄のカン。カンは、けんかが強く、リーダー格でした。3人は、まるで仲のいい兄弟のようでした。「こんな田舎に暮らしていては、一生うだつがあがらない」というカンの誘いで、成功を夢見て、3人は上海に出稼ぎに行くことになりました。

1930年代の老上海の街はマフィアが牛耳っていて、フォンやフーには馴染めないものでしたが、権力願望の強いカンには、欲望を満たす街でもあったのです。カンは力を発揮して、マフィアの親分に気に入られていきます。その親分の命を狙っているのが実弟のマーク。フォンがマークを助けることで、4人の若者の生き方が微妙に変わっていきます。そして、とうとう……。
オーストラリア

階級や人種・男女差別、文化の違いが入り混じっていたオーストラリアのダーウィンの港に降り立ったのは、イギリスの貴族婦人サラ。ここで牧場をしている夫を訪ねての旅なのですが、思わぬアクシデントが待ち受けています。夫が何者かに殺されてしまったのです。夫が迎えによこしたカーボーイは礼儀知らずで野蛮。(こんな人)と思っていたのですが、信頼できるのはどうやら彼とわずかな人間だけ。夫の残した牛1,500頭を軍に売るために女、子ども、飲んだくれを含むわずか7人で9000キロの牛追いの旅が始まりますが、それは、サラにとって人生のアドベンチャーでもあったのです。

サラは、母親を亡くしてしまったアボリジニの少年に母性本能を感じますが、白人でも黒人でもないアボリジニの少年には、アボリジニとしての生き方があったのです。この終わり方もよかったです。
フェイクシティ ある男のルール 

最初のシーンから、なんとも重い感じがしました。主人公は、有無をいわさず犯罪者を撃ち殺すのですが、それがタイトルにもなっている「ある男のルール」ともいえるし、登場人物のすべてにもあてはまります。無法地帯の警察官は、それぞれ個人のルールで仕事をしているのです。憎み合ってしまったかっての同僚を目の前で撃ち殺された主人公は犯人を追っていたのですが、その裏に隠されていたのは……。

署内にはいくつかの群れがあり、摘発しようとしている者が敵なのか、かばってくれるものが味方なのか、最後にならないとわかりません。それにしても、いくら凶悪犯でも、銃で一方的に片付ける社会は怖いです。
チェンジリング

警察が暴力的なまでに権力をもっていた時代に、勇敢にもその権力に立ち向かっていった女性がいます。行方不明だった息子を警察が見つけてくれたよろこびも束の間、全くの別人だったからです。が、警察はあくまでその男の子が息子だと言い張り、彼女を精神病院に放り込んでしまいます。病院の中には、警察の手によって不条理に押し込まれている女性が何人もいました。主張すれば虐待される……。彼女も同じ立場に置かれてしまいました。なんということでしょう。しかし、どんなときにも力を貸してくれる人が現れるものです。

意外な事件から、彼女の主張が正しいことを警察は認めざるをえなくなるのですが、それは彼女にとって辛く悲しい事実でもありました。それでも、彼女は生涯息子を待ち続けていたということです。1928年ロスであった実話だそうです。物語とはうらはらに、その時代の女性のファッションのエレガントさ、ソフト帽をかぶった男性のダンディさ。どちらもなかなか素敵でした。
七つの贈り物

七つの贈り物が一体何なのか、彼がリストアップしている名簿が一体何なのか、なんのヒントもないまま物語は進んでいくのですが、それだけに引き込まれていきます。弟からかかってきた最初の電話にキーワードが隠されていたことが終盤になってわかります。弟に贈った最初の贈り物がきっかけで、彼はあと六つの贈り物を見知らぬ人たちにしたいという思いをエスカレートさせていくのです。それが、ある出来事への償いになると彼は思い込んでいるのです。

彼がプレゼントをしたいと思った弟以外の六人は、見知らぬ人たちです。アイスホッケーのコーチ・入院中の少年・民生児童局の女性・恋人に虐待を受けている母(とふたりの子ども)・視覚障害を持ったピアニスト・印刷業の女性(あえてこう書きます)。彼女との出会いが、物語をいっそう感動的なものにしています。でも、もし、あの場に弟が現れなかったら……。いえ、彼はやはり3〜4パーセントの可能性をプレゼントする道を選んだことでしょう。もう引き下がれない。今、決心しないと気持ちが揺れてしまう……。

七つのプレゼントを贈る相手を自分で選んだからこそ決心できたのかもしれません。
ディファイアンス

第二次世界大戦中に、ユダヤ人であるがために家族を殺された三兄弟が森に逃げ込みます。やがて、森にはナチスの迫害からかろうじて逃れてきたユダヤ人が集まってきました。その命を守るだけでもたいへんなのに、村に残っている同胞を、危険を犯して救いにも行きます。大勢で隠れながら暮らしていくいちばんの問題は食料の確保でした。そのため足がつくことに。兄のやり方に不満を持った次兄はロシア軍に入隊してしまいます。追われ、戦い、森を逃げまわり、あわやと思ったときに……。

終戦時には、森の中の運命共同体には1200人ものユダヤ人が命をつないでいて、学校も病院もあったということです。三兄弟のその後も、物語の終わりにわかります。ほっとしました。いい映画でした。

長兄を演じたダニエル・クレイグは007のボンド役も演じています。一介の市民と、洗練されたスパイ。どちらも人間味があふれていて、心に残ります。


少年メリケンサック   30

ネットで流されたパンクバンド「少年メリケンサック」の人気が急上昇。全国でライブをすることになったのですが、実は流されたテープは25年前のもので、今やメンバーは中年のだらしないおっさんたちなのでした。歌はへただし、オーラもない。しかも、解散時の胸のもやもやを消化しきれないまま今に至っているようで、仲が悪いときています。宮崎あおい演ずるプロダクションの契約社員が、奮闘するのですが……。何回笑ったことか。

パンクバンドっていったい何か、映画の中でも何回も問われていましたが、ほんとうに何なんでしょう。ただの暴力バンドとしか見えないのが残念でした。これについては、松山ケンイチの「デトロイト・メタル、シティ」の方がわかりやすかったかも。

それにしても、宮崎あおいという女優さんは、すごいです。セリフも自然体、表情も豊かでほれぼれします。あの「篤姫」を撮っている合間にこの映画を撮ったというのですから、やはり天才。
旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ

赤字続きで窮地に追い込まれていた旭山動物園が、入場者数日本一の動物園になるまでの実話ですが、動物園を救ったのは、あきらめない精神と、「ペンギンを空にとばす」という発想というか、キャッチフレーズだったのですね。

子ども向けの映画だと軽く思っていたのですが、骨太の、大人でも十分楽しめる映画でした。不況を乗り越えるヒントをもらえるかもしれません。
ヘブンズドア

長くてあと一週間の命だという宣告を受けた青年が入院した病院には、7歳のときから入院したまま余命もいくばくもない14歳の少女がいました。天国では海のことが話題になるというのに、少女は海を見たことがないというのです。ただ、「海を見に行こう」と誘っただけなのに、その先にはいろいろなアクシデントが待ち受けています。

饅頭の下の札束がらみのエピソードがなんともうそっぽいかな。それがなくても、物語は十分に展開して、心打つように思いました。
ララピポ 

この世には二種類の人間がいて、一生這いつくばって生きる者と、上昇していく者がいるというのですが、この物語に登場してくる人たちは、いったいどちらなんでしょう。やばい人たちばかりですが、映画の後味はそう悪くないんです。それは、成宮寛貴くんの笑顔からなのか、それぞれのエピソードにどんでん返しがあって、本当の悪人はいないというか、みんなそれなりに必死に生きているのがわかるからなのか……。

濱田まりが出るというので、ぜひ観ておこうと思ったのですが、なるほど、15歳未満はお断りのはずです。かなりきわどい内容です。
ベンジャミン・バトン 数奇な人生

戦争で息子を失った時計技師が、時間が逆に進む時計を作りました。時が戻れば、息子が帰ってくる……。物語はそこから始まります。

生まれたときはすでに老人。余命いくばくといわれていた赤ん坊は、成長とともに若返っていくのです。それは素敵なように思われます。が、老いよりもっと怖いもの、それは若返りが進み、やがて赤ん坊になって、自分がわからなくなることです。

例え真逆を生きても、人生、行く着くところは同じなのです。「死」が決着をつけます。アーチストであろうと、船乗りであろうと、ボタン会社の社長であろうと、バレーリーなーであろうと、成功しても、失意にあっても……です。どんな境遇であろうとも、戦争などで命を失うことなく、自分らしく生きて一生を終えなさい。映画からそんなメッセージが聞こえてきました。
ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー 

進路を決める大切な時期でも、アメリカの高校生は、こんなに青春を謳歌しているんですね♪ プレッシャーでがんじがらめになっている日本の高校生はうらやましいことでしょう。進路を決めるに当たって大切なことは、レベルの高さよりも、自分に何が向いているかどうか、自分自身が納得することが大切なんですね。それに人生で欠かせないのは、なんといっても友情。すかっとしました。
チェ・39歳 別れの手紙

チェ・28歳の革命の続編です。キューバでの革命に成功したチェ・ゲバラは、栄光に身を甘んじないで、ボリビアの貧しい農民の人々にも学校と病院と人並みの生活をと、ゲリラ活動を開始します。隊員の意志を尊重してその気のない者は拘束せず、食糧難になっても略奪せず、農民を説得しつつ、どんな時でも揺らがず正しく突き進んでいくのですが、政府軍にデマを吹聴された農民に密告されてしまいます。
シャッフル

夫が自動車事故で即死という知らせを聞いて、主人公は取り乱してしまいます。が、翌朝起きたら、夫は生きているのです。でも、その翌日は、夫の葬儀が行われています。でも、その翌日は……。夫の死は事実なのか予知なのか……。

精神医にかかったのはいつなのか、長女の顔のケガはいつしたのか、保険金、夫の浮気……。どうやら、この一週間は現在と未来がシャッフルされて、入れ替わっているようなのです。もし、夫の死亡事故がこれから起こることなら、彼女は夫を救うことができるのでしょうか? 

なんとも言えない気持ちが、最後の2秒でほっとします。
20世紀少年 第2章 最後の希望

「予言の書」には「新予言の書」があったのです。予言の書はケンジが書いたのですが、「新予言の書」は、いったいだれが書いたのでしょう? 登場人物が多いので、その関係はもちろん、ストーリーがなかなかのみこめません。なぞが、薄紙をはがすように少しずつわかってきたと思ってきたところに、「神」の復活で、またわけがわからなくなりました。

ウィキペディアの20世紀少年を見ると、いろいろ詳しく書かれています。これを見ればわかるかな。いずれにしても、最終章が待たれます。
マンマミーア!

本編よりも予告編の方が、10倍おもしろかったというのが率直な感想です。ミュージカルなのでしかたがないですが、どたばた感が強く、楽しいけれど、すとんと心に落ちるものがありませんでした。

娘の父親候補が3人いるというその理由は、当時付き合っていた相手に婚約者がいることを知って彼を拒絶した直後、同時期に別の2人の男性と深い関係を持ったというただの身持ちの軽い女性としか描かれていないのです。「ほんとうは、だれが父親なの?」と親友にきかれ、「教えない」と答えていますが、教えないのではなくて、本人にもわからないのでは? しかも、2人の男性のうちひとりの母親に、自分の娘を孫と思わせ、現在経営している島のホテルを遺産として、ちゃっかり受け継いでいるのです。しかも、本命はその男性ではない。
007/慰めの報酬    20

カーチェイスだけではなく、海(ボート)や空(飛行機)でのスリリングな追っかけあいあり、アクションあり、スピード感と迫力は抜群です。どうやって撮ったのでしょう。ただ画面が早すぎるので、敵か味方か把握できないシーンが何か所もありました。

今回のボンドガールは、悲しみを背負っていて、とてもいい設定でした。ドレスから見える背中のやけどの跡も、リアリティがありました。「慰めの報酬」というタイトルも、なかなか深いということが観終わってわかります。

ボンドの魅力は、誤解を受けても言い訳しないこと。揺るがないこと。絶対死なないこと(あの炎の中から脱出できるなんて、リアリティがないのですが、ボンドなら許せるのです)。ボンドとママ(上司)との信頼感にも、ジーンと来ます。
だれも守ってくれない

もしも家族が殺人犯だったら……。18歳の長男が逮捕されたその日から、加害者の家族は世論の攻撃の的になってしまいます。母親は自殺。15歳の妹は、刑事に保護されるのですが、行く先々、執拗に追跡され、ネットの書き込みには、「死んで兄の罪をつぐなえ」と言葉の暴力で迫ってきます。加害者の家族を守っているということで、刑事まで非難の的となるのです。

被害者の家族は、どんなにつらく悲しいことかは、察しても余りあることです。加害者がいくら罰せられても、心が癒されることはないでしょう。更に、加害者の家族も、つらく苦しい思いを一生背負って生きていかなければならないということを、ひしひしと感じました。それにしても、なぜ……。未成年の長男が追い詰められた経過を思うと、それもまた苦しいことです。

テーマソング、メロディはせつなくていい感じなのですが、なぜ、日本語でないの?
だいじょうぶであるように

沖縄の歌手Coccoの全国ツアーのドキュメンタリーです。沖縄大好き、ひめゆりのおばば大好きの彼女は、その心を歌ってきました。沖縄だけが被害者だと思っていた彼女は、青森県の女(Coccoはそういっていました)からもらった手紙で、核再生処理施設のある六ヶ所村のことを知ります。コンサートツアーで青森に行ったときに六ヶ所村を訪ね、不条理な悲しみと憤りを感じているのは、沖縄だけではないことを知ります。

飾り気のない本音の会話と、屈託のないとびっきりの笑顔、そして泣き虫でもある彼女の大らかな歌声に心が揺れます。コンサートツアー中、インタビューアは彼女が黒砂糖をかじっている以外、物を食べているのも見たことがなかったのですが、とうとう拒食症のために入院してしまいます。
みんな、はじめはコドモだった

日本を代表する5人の監督、井筒和幸・大森一樹・崔洋一・阪本順治・李相日のオムニバス作品です。コドモをどう捉えるか、それぞれの発想を楽しめました。

教室でのコドモたち、親を早く助けたくて早く大人になりたいと願うコドモ、家族の中のコドモ、大人よりうんとしっかりしたコドモ、親が死ぬにも死に切れないコドモ。驚いたり、愛おしかったり、切なかったり、よくわかるものもあれば、結末がいまいちわからないものも。いろいろあって、おもしろいです。
オペラ座の怪人

オペラ座のオークションで、おさるのおもちゃを競り合ったのは、車椅子の老紳士と初老のご婦人。物語はふたりの回想で始まります。おもしろいのは、回想シーンがカラーで、リアルタイムがセピア調なのです。

ラストシーンで、老紳士が、妻の墓前におさるのおもちゃを供えるのですが、なぜなのか意味がわかりませんでした。おさるのおもちゃは、たったひとりの理解者であった老婦人の手に渡るのがふさわしいと思いました。墓前の一輪のバラ、印象的です。このシーンだけで、怪人といわれた男の愛を知らずに育った身の上が、なんともあわれでなりませんでした。
レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

傍目からみると申し分のない幸せな夫婦なのですが、妻は、平凡な日常が、かって描いていた夢や理想とかけ離れてしまったことを悔いています。パリで暮らすという妻の意見にいったんは同調したものの、現実の世界に生きることを選んだ夫。ふたりのけんかは、だんだん激しくなってきます。お互いを打ちのめすために暴言はエスカレートするばかり。それにしても、妻がある決心をする引きがけになった夫の言葉は、あまりにもひどい……。

ラストのシーンにもうひとひねりほしかったと思いました。例えば、子どもたちがブランコに乗っているそばで微笑んでいるのは、夫の不倫相手だというのは、どうでしょう。

インタビュー
ヤング@ハート

クラシックやオペラが大好きなお年寄りにとってロックは騒音のようで、耳栓をしたくなります。リズムには乗れないし、歌詞を追いかけるのも大変です。でも、慣れてくると、それはなかなか楽しいものでした。「Yes,we can……」。どこかで聞いた言葉です。can can can……と71回もcanを繰り返して歌う早口言葉のような歌詞も見事クリアー。おたけびなのか、歌なのか。時にはしんみり、時にはユーモアたっぷりな歌声は、服役中の若者の心さえも動かします。

お年寄りということでハードルを下げない指導者の態度も立派です。

ドキュメンタリーというところが、なんといってもすごいです。リアルタイムで、生と死を追っています。わたしなんか、まだまだ若造。がんばらなくっちゃと背中を押されました。
チェ・28歳の革命

裕福な家に生まれたチェ・ゲバラは医師になり、貧しい人々を助けたいと南米を旅しているうちに、キューバを救うフィデル(カストロ)に出会い共感し、軍医としてゲリラ軍に加わりました。愛情深く、立場におぼれず、常に目指しているものを見失わない姿勢と判断力で、若くして司令官にまでなっていきます。それにしても、自分の国の自由を取り戻すために、たくさんの命と引き換えなければならないことが、今も尚、世界のあちこちで繰り返されていることが理解できません。
シカゴ

スターになるがための不倫のはずが、だまされていたことに気づいたロキシーは、男を射殺してしまいます。殺人、賄賂、不正なんでもあれの1920年代のシカゴで殺人罪で裁かれるロキシーの運命やいかに。しかるべき罰で罪を償う……なんて常識が通らないのが当時のシカゴの怖さでありおもしろさでもあるのです。

ミュージカルになっていて、ダンスのシャープな切れは、圧巻。女看守のすごさ、弁護士のずるさ、小市民である夫の純真さ。殺人犯を売りに這い上がる女のしたたかさ。2002年の作品の再上映。
ミーアキャット

アフリカのカラハリ砂漠で、ミーアキャットは群れを作って生きています。というか、群れなくては敵の多い砂漠で生きていけません。群れていても、砂漠で生きていくには、いろいろな問題が降りかかってきます。生まれて三週間のコロに、お兄さんが生きていく術をいろいろ教えてくれます。やがてコロにも弟が生まれ、お兄さんになるのですが……。

ミーアキャットの少年コロがいくつもの試練を乗り越え、成長していく物語です。といっても、実写です。よくまあ、ストーリーに沿って、いろいろな感動シーンを撮影できたものと感心します。何よりもミーアキャトの姿がかわいいです。鳴き声は、キャットなのに、ドッグのようですワン。
大阪ハムレット   10

「久保くんはハムレットみたいやなあ」と担任から言われて切れてしまった中学生の次男。ハムレットが友だちの飼っているハムスターではなくて、シェークスピアの作品だと知った次男は、辞書を片手にハムレットを読みはじめます。

久保家はみんな変わっています。ふけ顔の中三の長男は大学生と偽って年上の女性と恋をしているし、小学生の三男は女の子になりたい願望があります。昼は介護師、夜はスナックで働いている大らかなお母ちゃんは4人目を妊娠してるそうで、お父ちゃんが死んだあと、家に転がり込んできた変なおっちゃんもいます。住んでいる町もけったいです。

生きるべきか、生きざるべきか……。「ぐちゃぐちゃ言わんと、生きてたらええねん」。それが大阪ハムレットがたどり着いた答えです。テーマは、『禅』と同じ「ありのままを受け入れる」ですが、笑って愉快の中で感じることができるのは、最高です。久々に心にヒットしました。
感染列島

この冬は、鳥インフルエンザが猛威を振るうかもしれないと話題になっていますが、もしもの場合は、こういう風になってしまうのかと怖くなります。ウイルスのせいでインフルエンザは蔓延していくばかりで、何が原因なのか究明できません。やっとつきつめてもワクチンができるまで何か月もかかるのです。その間、インフルエンザは日本中に広まっていって、感染者と死亡者の数は……。

ウイルスと戦う医者や看護師たち。「明日地球が滅ぶとも、今日、君はりんごの木を植える」。しみじみと胸に響く言葉です。
ミラーズ

火災のため廃墟となった建物を、懐中電灯ひとつで深夜巡回するのですから、なんとも不気味です。建物はデパートだったのですが、それを建てる前は精神病院だったのです……。映画の前半は得体の知れない怖さです。後半は謎解き。でも、正体は何だったの……、と思ってしまいました。ラストは、ほっとするのも束の間。えっ、そんな……です。

鏡が怖いのではなく、鏡を媒体にしてしまった人間の怨念が怖いのかもしれません。
ザ・ムーン

40年前、人類が月を目指していた頃は、すべての人々が一丸となって「夢」を信じ、叶えることに夢中になることができたいい時代だったのだなあと痛感しました。今人類が抱えている問題は、環境・鳥ウィルス・不況・戦争・災害・人災……、暗いことばかりです。めげぞうになる我々に、偉業をなし終えた乗り組員たちが、はげみとなるたくさんのいい言葉を贈ってくれます。

その中のひとつのこんな言葉が印象的でした。「地球を離れてみて、地球こそがエデンの園なのだとわかった」。青い鳥の物語と同じで、幸せはすぐそばにあるのです。エデンの園を大切に暮らしていかなければならないのですね。
ムーランルージュ

パリのムーランルージュの華やかさと、内なる哀しさが見事に描かれています。だれもがあこがれる美しい踊り子を使って新しいショーをと願う小屋主と、パトロンの伯爵。そして、若い脚本家。踊り子と脚本家の出会いは勘違いから始まりますが、ふたりは恋に落ちてしまいます。ダイヤモンドしか信じられなかった踊り子の恋の結末は……。

ミュージカル仕立てになっているので、フレンチカンカンも、主演のコール・キッドマンの美しい容姿プラス歌声も堪能できます。風車と象の部屋。ムーランルージュは、いかにもあやしげです。物語と新しいショーの内容がうまくかみ合っているのがおもしろいです。ふたりの間に立ちふさがるのは富の象徴伯爵です。悪役なのですが、考えてみればお気の毒。2001年の作品です。
ZEN 禅

「死んで天国に行ってもしかたがない。この世にこそ天国を」という思いで、中国で禅の心を学び悟りに辿りついた道元は日本に帰ってきて布教を始めます。最初はたったふたりの弟子しかいませんでしたが、「ありのままを受け入ればいい」という道元の教えは広まっていきます。違う宗派を否定したこともあって、寺を焼かれ、越前に移ります。ここが後の永平寺です。

   春は花
   夏ほととぎす
   秋は月
   冬雪さえて すずしかりけり

中国語でやりとりする日本の俳優さんたち。それも心地よく耳に響いてきます。
ブロークン・イングリッシュ

ノラは30歳を過ぎたのですが、なかなか恋人ができません。仕事はばりばりできるし、職場では信頼されているのに、恋人ができないということで人生にも臆病になっています。それどころか、失恋恐怖で今度の恋愛もうまくいかないのではと思うあまり呼吸困難まで起こしてしまい、仕事は上の空、職場まで放棄してしまったのですです。男あさりがすべてというか、自分のことを好いてくれれば、相手はだれであってもいい。そんなノラが少しも魅力的に見えませんでした。観た後が空しくなりました。
その男ヴァン・ダム

ハリウッドの人気アクションスターであるジャン=ヴァン・ダムが本人を演じるというおもしろい映画です。

アクションが古い → 売れなくなった → 次作はセガールに奪われ(この辺りの設定もおもしろい) → 離婚裁判中 → 娘に嫌われる → 銀行口座は底をつく → お金をおろしに行った郵便局で強盗と鉢合わせ → 強盗犯にさせられる(納得できる条件が揃っている) → 警官と強盗犯の映画さながらのドンパチ。でもこれは現実。ヴァン・ダムは、一体どうなるのでしょうか。
バンク・ジョブ

1971年。銀行強盗計画を考え付いたのは、こともあろうにMI-5といわれている国家特務機関。貸金庫の中の英国王女のスキャンダル写真を盗ませるのが目的です。政府に関係ない人間に銀行の貸金庫を襲わせ、ついでにスキャンダル写真も奪わせようと試みるのです。引き受けたのは素人の集まり。

貸し金後の中からは、王室のスキャンダルだけではなく、警察官の賄賂記録やMI5の高官の見られたくない写真まで出てくるありさま。それにしても驚きです。英国王室は自由奔放というか、その王室を守るために、必死のMI5。この映画は実話で、王女の名前まで暴露されているのですから、イギリスはほんとうに王室のことを大切に思っているのかどうか。
ワールド・オブ・ライズ

爆破テロの犯人を逮捕するためには手段を選ばないCIA。それは地球を救うことになるというのですが……。現場で身を危険にさらしながら犯人を追っている捜査官フェリスと、安全な場所で家族とくつろぎながら指令を出すだけの指揮官。現場の空気を読むことができない指揮官の指令で、フェリスはたびたび危険な目に。怪しきものを「即、逮捕」なのか「泳がせる」べきなのか……。