ええがな映画 

2010年 映画館で観た映画

独断と偏見のとんぼ評
                                     2007   2008  2009
SPACE BATTLESHIP ヤマト  154

宇宙船艦ヤマトという名前は知っていたのですが、物語の内容は、今回、初めて知りました。うわさ通りキムタクはかっこよかったし、家族の絆が物語の根底に流れていることもわかりましたが、時間的に無理だとはいえ、それぞれの家族とのかかわりが説明になっていたのが惜しいです。「沈まぬ太陽」ぐらいのスケールであってもいいかと思う反面、SF映画なので長くなったぶん、特殊撮影とのかねあいが難しくなるのかもしれません。
その街の子ども

同僚と広島への出張に向かうとちゅう、急に新神戸で途中下車した青年は、1995年、阪神淡路大震災のとき小学生で、神戸に住んでいたのです。同じように新神戸で降りた見知らぬ娘に道を聞かれるのですが、彼女も15年ぶりに神戸を訪れたのだといいます。神戸に祖母が住んでいながら、親友の死を受け入れられなくて、どうしても15年間訪れることができなかったという彼女。見知らぬふたりが、15年後の神戸の街を、夜通し歩き続けます。癒えてほしい震災の傷跡。でも、忘れてしまってはならない思い。伝えていく。それが体験したした人間の役目なのかもしれません。
セラフィーヌの庭

家政婦のセラフィーヌは川で洗濯をしたり床磨きをしたりして、つましく暮らしています。もくもく働いている彼女は、守護天使のお告げがあったといって、こっそり絵を描いています。絵の具が買えないので、木の実や土、蝋などを混ぜ合わせて色を作り出しています。白だけは買えないので、ツケで買っているのです、彼女は、自然の力を信じています。

彼女の絵が画商の目に留まり、評価を受けます。折りしも、第一次大戦。画商は、フランスに戻っていきました。その後もセラフィーヌは絵を描き続けていて、画商と再会します。絵が売れ始めると共に、彼女は、精神がおかしくなっていきます。

家政婦のままの方がよかったのか、画家として成功したことの方がよかったのか……。それにしても不可思議な絵です。描かれているのは、「庭」というよりも、「樹」です。樹を描いて、彼女の庭を知り、森を想い、そして大自然を想像するといえばいいのでしょうか。
うまれる

命をつなぐことの大切さと、難しさが伝わってきます。生まれてきた命がどんなに大切なものか、この映画を、中・高校生に見せたいと思いました。生まれてきたからには、生きなければなりません。
冬の小鳥  150

信じていた父親に捨てられた少女の苦悩が、ひしひしと伝わってきます。孤児院の人たちはみんなやさしく、気づかってくれます。院長も、シスターも、おばさんも、仲間たちも……。でも、父親が迎えに来るに違いないと信じている少女には、どれひとつとして受け入れることができません。

孤児院にいる子どもたちの幸せは、求められる先に養子に行くことです。少女は、それすら拒否します。この孤児院の素晴らしいところは、叱ったり、押し付けるのではなく少女がその気持ちになるまで待っていることです。門によじ登って出て行こうとする少女に、「出て行きたいなら」と、門を開けます。食べたくなければ、そうさせます。礼拝に行きたくなければ、休ませます。「父親に会ってきてほしい」といえば、そうします。そして、少女はひとつずつ現実を受け止めて、自分の行く道を見つけていくのです。

見知らない外国に降り立った少女の心細さをひしひし感じつつ、「だいじょうぶ、きっと幸せになれるから」と、抱きしめたくなります。監督の自伝だそうです。
約束の葡萄

19世紀のブルゴーニュ、シャトーの下働きだったソブランは、主のいいなりではなく、いつか自分の思い通りのワインを造りたいと願っています。ある日天使が丘の上に降りてきて、土を味わって判断する方法や、自分が育てた苗を分けてくれたりして力を貸してくれました。それ以来、ブランは、年に1回、彼と会う約束をするのですが、実は、その天使は堕天使だったのです。つまり天使の身でありながら高慢でかつ嫉妬深く、神に反逆し天界を追放された悪魔だった……というわけです。父の死、幼い息子の死、妻の発狂、葡萄の木の撲滅は堕天使と交わったせいなのでしょうか……。シャトーの相続者オーロラとの出会い、彼の人生のすべてが、彼のワインの味となるのです。

当時は有機栽培だったのでしょう。あらゆる虫たちが場面場面に登場してきます。
ハリーポッターと死の秘法

ハリーポッターは好きなのですが、映画を観ていて、「すごい」と思うときと、「がっかり」するときがあります。今回は……後者でした。大きな流れの中の谷間というか、そんな感じです。

ハリーとロン、ハーマイオニーの友情はしっかり描かれていました。ハリーは主人公には違いないのですが、未熟で、思い立つと危険を考えないで行動に出てしまう危うさがあります。そんなハリーにとって、ロンとハーマイオニーは大切な存在です。ただ、年頃になった彼らにとって、友情が愛情に変わるときがきたようで、嫉妬というやっかいなものが現れます。

それにしても、ハーマイオニーという少女のすばらしさ。聡明で慈悲深い。しかも魔法に秀でているのです。
キス&キル

純情なおじょうさんに恋をした殺し屋が、稼業から足抜けしたいと願います。叶うはずがない願いが叶ったのか平穏で幸せな日々が続いていたのですが、3年も経ったある日、ふたりの身の上に、とんでもない事態が起こります。友人・知人・同僚……など信頼していた人が彼(結果的にはふたり)を襲ってくるのです。それもそのはず、彼には、だれもが理性を失う2000万ドルもの賞金がかかっていたのです……。そのとき純情なおじょうさんは……。コメディタッチで意外な結末。なかなか面白かったです。
武士の家計簿

商人を軽く見ていた「士・農・工・商」の時代に、そろばん侍が藩を支えていたということそのものがおもしろくて、かつ驚きでした。「藩」はいわば企業、いえ、国家。財政がしっかりしていてこその発展だと感じ入りました。脚本家は、東京の古本屋でモデルになった加賀藩の武士の家計簿がダンボール一箱に詰め込まれ売りに出されていたことに遭遇。結果、この物語が生まれたそうです。それにしても、平面の家計簿を見て、立体的に物語に組み立てた素晴らしさに感銘しました。
レオニー

「息子には父親が必要だ」という日本人の詩人の招きで、息子といっしょにアメリカからはるばるやってきたレオニーにとっていちばんの驚きは、彼には正妻がいて、自分は二の次だという心外な事実でした。それを受け入れれば生活は楽になるのですが、精神的に自立した女性であったレオにーには、屈辱的なことでした。国が違うといって価値観が変わることに納得できなかったからこそ、「芸術家には国境がないから」と息子にきっぱりいえたのかもしれません。

映画の中で、その時代に活躍したふたりの日本女性が登場します。ひとりは津田梅子。もうひとりは、小泉八雲の妻節子です。日本に初めて女子大を立ち上げ良家の子女を育てる立場にいた梅子は、正妻ではないレオニーを冷たいまでに拒否しますが、国際結婚の末、夫を亡くした節子は、レオニーの立場を理解し、やさしく受け入れます。日本女性の価値観もさまざまです。

レオニーは彼女らしく生きたと思いますが、わたしには、気になる女性がいます。娘のアイリスです。彼女はどのような人生を送ったのでしょう。
ふたたび

希望に輝いていた26歳のときにハンセン病にかかったために島に強制隔離された主人公は、その時点で、命以外のすべてを失ってしまったのです。それでも50年という歳月は流れるのです。そう思うだけで胸が詰まりました。

50年前、彼はバンドのメンバーでした。やっとのことで夢が叶い、あこがれのクラブで演奏できるという矢先の発病でした。50年ぶりに再会したバンドの仲間たちも、彼同様、今はすっかり老いています。でも、心は深くつながっていたのでしょう、すぐにあの時代につながることができました。やりのこしたことをクリアーできたよろこびが、じわじわ伝わってきます。

かっての恋人(息子の母親)の試練に満ちた人生を思うと、その息子が歩んできた50年と併せて、一本の映画になりそうです。ハンセン病患者を隔離するという非人道的とも思われる対処で、今、日本ではハンセン病の発生率は、とても低いそうです。
トラブル・イン・ハリウッド

なかなかおもしろかったです。家族よりも仕事を選んだ男の物語で、携帯電話が放せない……というシーンを含めて、よく似た映画を見たように思います。その映画は、男がピストル自殺することで、家族が置いてきぼりを食らうというENDがいまいちでしたが、この映画は何事が起こっても少しも悲惨ではないのです。エネルギーを感じます。

俳優と映画会社、監督の間ですべてがうまく運ぶように彼の肩にかかっているのですがアクシデントとどんでん返しはいつも付きもの。まわりの人間は一筋縄ではいかないのです。そして、前の妻も、その前の妻も……。
ブリジッドバルドー生誕祭 「殿方ごめんあそばせ」

恋の駆け引きの物語ですが、ストーリーはともかく、ブリジッド・バルドーの容姿の美しいこと。おかしかったのは、現在、バルドーは、動物愛護家になり、毛皮に反対していますが、画面の彼女は、さまざまな毛皮を羽織っています。「動物方ごめんあそばせ」といったところでしょうか。
世にも怪奇な物語

三つの物語のオムニバスです。ジェーン・フォンダ主演の「黒馬の哭く館」、アランドロン、ブリジッドバルドー主演の「影を殺した男」、テレンズ・スタンプ主演の「悪魔の首飾り」、どれも、気が利いていておもしろかったです。往年のスタートいうのはスクリーンに映し出されるだけで華があるといえばいいのか、存在感が格別だと思いました。
不食の時代    140

たったいっぱいの青汁で、15年も暮らしている女性がいます。ふっくらした体型で、鍼灸師として活躍されています。食べないことで、長年苦しんでいた病気から開放された喜びが大きいのでしょうが、それにしても、すべての食べ物を断つというのは、よほどの意思がなければ、いえ、あっても、15年間も……、とにかく驚きでした。

この映画は、甲田光雄医師の「断食療法」で、断食することで体内の毒素を出し、免疫力を高め、難病を克服した人たちのドキュメンタリーなのですが、ならびに、飽食の時代を揶揄しているように感じました。
エクリプス/トワイライト・サーガ

ヴァンパイアのエドワードとオオカミ族のジェイコブ、ふたりから愛されてしまったベラはどちらを選ぶのでしょうか。そこには壮絶な戦いがからんできて、人間とヴァンパイアの恋愛ファンタジーというだけでは、言葉が足りません。

ベラの言葉にもあったように、エドワードかジェイコブかという選択よりも、彼女は、自分がどちらの世界に身を委ねるのがふさわしいかで決めたのです。個人の選択よりも、一族の選択をしたのです。このあたりに、高校生とはいえ、ベラに女のしたたかさを感じます。エドワードとジェイコブは、それぞれ純粋にベラ愛していたようなので、どちらが選ばれたとしても、せつない余韻が残ります……。
ルンバ!

「アイスバーグ!」と2本立てで観ました。出演者も同じです。不可思議さも同じです。小学校の授業風景から物語は始まりますが、なんだかおかしくって、笑いがこみあげてくるのです。授業風景もおもしろく、授業が終わって子どもたちが、歓声をあげならが飛び出してきたあと、ワンテンポ遅れて、先生たちも「わーい」とスキップで帰っていくのです。えっ、先生が……? その意外性にくすっと笑い、そのあと、きっと先生も、授業が終わればそうなんだろうと納得するのです。

ストーリーがあってないような、思いがけないことが次々起こるので、まったく先が読めません。こういう表現の世界があったのかと、新鮮でした。演技力がすべてです。これもサイレントに近いです。
アイスバーグ!

プロローグで語りかけられるイヌイットの言葉は、日本語にはない鼻の奥にくぐもるような発音が、実に魅力的です。その女性はイヌイット語を話せる最後の人だそうです。が、わずか数分でそのシーンは終わり、あとはサイレント映画のようにほとんど無言です。しかも、プロローグとは全く関係のないストーリーが展開していくように思えるのですが……、これが、なんともおもしろくて引き込まれていきます。

女優さんの動きがシャープで美しく、美人でもないのですが、特に泳ぐ姿には見ほれます。シーツの中で氷山を現す心理的描写シーンも見事で、かつ笑いがこみあげてくるのです。それもそのはず、主演のアベルとゴードン夫妻はベルギーのブリュッセルを拠点に道化師として活躍しているそうです。監督もふたりでしています。今までに観たことがない不思議な映画でした。
ベンダ・ビリリ

路上生活をしている障害者たちが、音楽で世の中に認められていく過程を描いた、感動的なドキュメンタリーです。空き缶で作った単純な楽器の音色の深さ。そして障害者だけのバンドのセッションの素晴らしさ! 音楽とは、こういうものなのだと心が揺すぶられる思いがします。

障害者シェルターが火災になり、すべて燃えてしまうのですが、リーダーのリッキーは、「人生いいときも悪いときもある」とくよくよしたりしません。「何かを始めるに遅すぎるということはない」という言葉にも共感しました。CDデビューして全国をツアーするまでの長い道のりを観ていると、なんでも「あきらめない」で、自分を「信じる」ことに尽きるのだなと、改めて思います。
マザーウォーター

3人の女性は、もともと顔見知りではありません。それぞれ京都にたどりついて店を開いています。絹ごしだけしか作らない豆腐屋。ウイスキーしか出さないバー。コーヒーだけの喫茶店。それらの女性の生き方が描かれているのですが、なんともぬるいのです。1日にいったいいくらの売り上げがあるのでしょう。京都で店つきの住まいを手に入れるのにかなりの大金がいったはずです。暮らしぶりを描いているわりに生活感がないのが気になりました。この映画を観るときは、そういうkとを考えてはだめなのかもしれません。

ああ、そうか、なるほど、3人の共通点は水なのか……。豆腐屋も、ウイスキーバーも(水割り)、喫茶店も、風呂屋も(出てくるのです)、みんな水でつながっています。水のように流されて生きていけばいい……ということなのでしょうか? 

座り心地のいい椅子が象徴として出てきていましたが、鴨川べりに放置された椅子は、わざとらしい感じがしました。八百屋さんの京都弁が、なんともよかったです。ということは、八百屋さん以外は標準語で、それも違和感がありました。
乱暴と待機

やさしさとは、何なのでしょう。自分ががまんをすれば、みんなが幸せになれると思い、学生時代からそうしてきた彼女は、その献身的な行為が誤解され、うらみをかってしまうのです。悪気がないだけに、困ったものです。今は、兄と名乗る男と同居していますが、彼女には兄はいないのです。高校時代のクラスメートが結婚して、同じ長屋に引っ越してきます。

二組の男女のつながりともつれを描くにあたって、キャストはどんぴしゃです。
さらば愛しの大統領

小さな仕掛けから、だれでもわかるギャグまで、笑いが満載です。少々下品で(少々?)、「あほらしい」といえばそれまでですが、そのパワーは、「ばか」にはできません。笑いは、まちがいなく大阪の産業です。不況を乗り越えるには、大阪を独立国にしないといけないという発想は、あながちギャグでないのかもしれません。わかりやすい映画です。元気がもらえます。

余談ですが、ある朝、なべあつ氏が起きてくると、奥さんが丸坊主になっていたそうです。その姿を見たなべあつの氏の一言がしびれます。「どうしはったんですか? 夕べ、エイリアンとでも戦わはったんですか?」。この映画は、そのなべあつの製作したものです。
SP 野望篇

数秒先に起こるべき事態が瞬間見える。やたら強い。仮面をつけた敵が、わざとらしい……など、白けてしまうようなシーンもあるのですが、主人公の幼いころのトラウマがわかると、アクションコミックのような世界にリアリティが見えてきます。政界・警視庁・公安。どこを信じていいのか、だれを信頼していいのか。映画を観た後、スカッと感がしないですが、それは、続編の「革命篇」を見ろということなのでしょうか。主人公を演じた岡田准一の動きが、アイドルにしてはシャープでつけ刃ではないと思っていたのですが、長年中国武術などを習っているそうで、やはりと思いました。
ヌードの夜(愛は惜しみなく奪う)

母親と姉娘と妹娘で開いている怪しげなバー。妹娘の、辛く酷な人生が少しずつ明らかになっていくのですが、最初から殺人、浴室での死体の解体というショッキングなシーンでした。映画の内容もよくわからないまま、ときたま上映時間が合ったのと、竹中直人、大竹しのぶが出ているからと観ることにしたのですが、たいへんな映画に首を突っ込んだのではという思いがしました。殺人、殺人、また殺人……、描写は激しいものでしたが、とてもせつない映画でした。ヌードの夜は、シリーズのようです。
インシテミル7日間のデスゲーム  130

1時間、112000円。7日間の簡単なアルバイトだという募集に参加することになった10人は、若者から熟年までさまざま。閉じ込められた建物の中で、心理的に追い込まれていくのは、簡単なバイトではなかったのです。参加者全員に武器が与えられ、つぎつぎにだれかが殺されていくのですから、次は自分かも知れないという不安から、疑心暗鬼になっていきます。犯人を探せば、ポイントゲットでバイト料は倍になるということを知り、犯人をでっちあげる輩もいます。だれを信じたらいいのか、殺人の様子がサイトに流れていて、人が殺されるたびにカウント数があがっていきます。7日間をクリアーできるのはだれなのか……。
歌舞伎シネマ「大江戸りびんぐでっと」

宮藤官九郎作・演出というだけで、奇想天外、ユーモアたっぷりだと想像できますが、まさに……。出てくる、出てくる、ゾンビたち。伝統を重んじるといわれている歌舞伎の世界ですが、実は言論の自由というか、差別用語が氾濫していて、そういうタブーには縛られていません。大スクリーンで見る歌舞伎は迫力があることはもちろん、表情をはじめ、細かい部分まで見えるのでおもしろいです。それにしても、中村七之助の女形は、なんとも美しく、しぐさがとても色っぽいのです。
スープオペラ

シングルマザーの母が亡くなり、母の妹が結婚しないで小さかった彼女を育ててくれました。近くの肉屋さんでただでもらってくる鶏ガラとくず野菜でていねいにスープを作りながら、おばはいいました。「このスープさえあれば、ちゃんと生きていけるのよ」。そのおばが、突然お嫁にいって、大学の図書室の司書をしている彼女は、古い大きな家にたったひとりで残されてしまいました。ドラマはそこから始まります。

彼女の家の近くに、荒れ果てた遊園地があります。さびついたメリーゴーランドの前を通るたびに、彼女は、「まわれ!」と声をかけます。その遊園地でアコーデオン弾きが演奏しています。物語の進行とともに、ヴァイオリン奏者が加わり、クラリネット奏者が加わっていきます。この演出が好きです。
雷桜

映画紹介に、日本版「ロミオとジュリエット」だとありますが、そんな先入観は植えつけないでほしいです。そう書かれると、(そういうことなんだ)と納得して観る意欲がなくなります。

蒼井優は、誘拐され天狗として育った少女を溌剌、かつ新鮮に演じていましたし、精神が不安定な将軍の嫡子の悲しさと愛に飢えた様子を、岡田将正が好演していました。馬のシーンもふたりとも吹き替え無しで、見事に乗りこなしていました。若い2人にエールを送りたい作品でした。
桜田門外ノ変

日本を変えたい。そのためには、独裁者である井伊直弼を倒さなければ、ということで水戸藩の18名は、その日に備えていた。井伊直弼暗殺後は京都へ向かい、薩摩藩などの支援もうけて幕府から朝廷を守ることになっていた。が、薩摩藩は来なかった。賛同していたほかの藩も……。三戸藩主までが、幕府にたてついたものは大罪に処せというおふれをだした。執拗な追っ手に、ひとりひとり追い込まれてく。藩士の中には、10代や20歳そこそこの若者もいる。藩士の囲われ者だったとうだけで、ひどい拷問を受けて亡くなった女性。変わりいく時代にのみ込まれていた若い命。無念な思いがいつまでも心に残る映画です。
アイルトン・セナ 音速の彼方に(映画の公式HPをヒットさせると、フリーズするのでリンクは避けました)

ドキュメンタリーです。走ることが大好きな純粋な青年の活躍は、貧困であえいでいたブラジルの人々の夢であり、希望でした。有名になるにつれて、セナはさまざまなしがらみに巻き込まれていきます。ただ走るだけではすまないのです。露骨に足を引っ張るレーサーたちも現れ、レーシングドライバーの世界にも政治の圧力がかかってきます。そのストレスはたいへんだったことでしょう。そんなセナにとって家族は支えでした。走っているときは、神の存在を信じていました。

最後のとなったレースの事故もたいした事故ではなかったようです。遺体には骨折も損傷もなく、本来なら歩いて退場できるはずだったのに、不幸にも破損したマシーンの部品が、セナのヘルメットに突き刺さったのです。生誕50周年の記念映画だそうですが、34歳、若すぎた死です。
美女と野獣3D

ふだんならパスするところでしたが、無料チケットをゲットしていたので、観ておこうと軽い気持ちで席についたのですが、なかなかおもしろかったです。3Dでなくても、いいかなと思いましたが、純粋に楽しめました。最初から最後まで、村の娘の心情に寄り沿って観ることができるので、怒りも、悲しみも、よろこびも堪能できます。
ガフールの伝説

巣立ちの練習をしていた二羽のふくろうの兄弟の成長物語です。いつもお父さんから聞いていた伝説の勇者の存在を信じていた弟と否定していた兄。同じ巣に生まれ、育ちながら、兄弟の歩んでいく道は、違うのです。いえ、もともと本質的にそれぞれの魂が求めているものが違うのかもしれません。

ふくろうの羽ばたきの力強さと美しさが見事に表現されています。「善」「悪」がはっきりしているので、子どもたちにもよくわかると思います。
ヤギと男と男と壁と

アメリカ軍が、武器ではなく超能力で戦うジェダイ戦士を真剣に育成していたということを、この映画を観て知りました。これが実話だというのですから、アメリカという国は、常識だけで物事を考えない懐の大きさと、想像力と夢を信じる国だと、驚嘆します。これをアメリカの病巣と評する人もいるようですが、そうでしょうか?

わたしの知っているある企業は、社員として作家や漫画家、作曲家、役者など、企業の営業内容とは直接関係のない人たち、いわゆる一芸に秀でた人たちを育てていましたが、そういうゆとりが大切なような気がします。不況とはいえ、直接戦力になる社員、しかもぎりぎりの人数しか雇わない今の時代は、さみしいかぎりです。目先のことで頭がいっぱいというか、それでは行き詰ってしまいそうです。「遊び心」がアイディアの発想、企業の発展に結びつくということを忘れてしまったのでしょうか。
瞳の奥の秘密

妻を惨殺された銀行員の、毎日、駅に佇み犯人探しをしている姿に心を動かされた刑事裁判所に勤務する男は、犯人を突き詰めるのですが、政治の力が動き、犯人は釈放されてしまいます。男は、配属されてきた女性上司とお互いに心を寄せ合っていたのですが、思いを伝えられないまま、事件もうやむやのまま、上からの圧力で転勤になってしまいます。

25年後、刑事裁判所を定年退職した男は、銀行員の妻の殺人事件を小説を書くという名目で、戻ってきます。女性上司はすでに結婚、ふたりの子どもの親になっているのですが、25年前に遡り事件を調べなおし、犯人を追跡することで、失った時間は取り戻せるのでしょうか。また、妻を失った銀行員の25年間の生き様もすごいです。
ナイト & ディ   120

アクション・スリル・ロマンス・ミステリーなどなど、いろいろな要素が絡み合っていて、それだけでもめちゃおもしろいのですが、更に、そこにたっぷりのウィットと思いやりが加算されます。楽しくって、あっという間に時間が過ぎました。一見、関係のない老夫婦が出てきます。彼らは、いつも申し込んでもいない高額懸賞に大当たりをするというのですが……。映画が終わったあとも物語の続きが楽しめます。今ごろケープタウンでは……と考えると。
ザ・ラストメッセージ  海猿

正義感にあふれ、心身ともにたくましくて、何事にも動じない。やさしくて、ユーモアがあって、愛にあふれている。そんな完璧な主人公の最後を思うと、なんともつらいものがありました。それで、映画を観るのを後回しにしていたのですが、予告編ですっかりだまされました。ラストは、そうだったのですね。そういう意味でも見事な予告編でした。

主人公といっしょにレガリアに取り残された若い隊員の服部の成長物語でもあります。

画面が暗いので、3Dめがねを外して観ました。映像が何重にもぼやけてきたところだけ3Dの見せ場かなと思って、かけました。
君に届け

「さだこ(さわこ)と、3秒目を合わせると呪われる」。地味で暗い女子高生さわこは、クラスメートから「さだこ」と忌み嫌われているのですが、その現実をすんなり受け入れることで、自分の存在を感じていました。クラスメートがパスしているような雑務(ごみの始末、黒板ふき、花壇の水遣り……)をもくもくこなし、「肝試しのゆうれい役はさだこがいい」といわると、「わたしでよければさせてもらいます」と引き受けるように。そんな中、偏見を持たない女友だちふたりと好きな男子生徒に出あったことで、さわこは変わって行くのです。

さわこはじれったくて、「しっかりしなさい」「かってに思い込まないで」「髪型をかえなさい」とがなりたくなりますが、不良だといわれている女ともだちの矢野と吉田が、すごくいいんです。そして、さわこが思いを寄せる風早と、クラスメートの龍(吉田の幼馴染)、恋敵のくるみ、人物の設定が明確で、それぞれ好感が持てます。
終着駅 トルストイ最後の旅

もともと広大な土地を持つ伯爵の家に生れたトルストイは、晩年、贅沢に嫌気がさし、弟子の言うとおり、著作権のすべてをロシアの民のものにするべく遺言を書き書き換えようとします。トルストイ主義といわれた生き方には、愛さえあれば、他のものはいらないというのです。極秘のうちに遺言の書き換えが行われることを知った妻は怒りを爆発させます。結婚後50年、13人の子どもを生み、夫の作品の清書をしてきた妻にはそれが許せません。家族のために著作権は譲れないと言い張ります。トルストイの秘書として、トルストイに信奉している一人の青年がやってきますが、実在の人物のようですが、ストーリーテラーとして最適です。

それにしても、当時は、みんな日記をつけていたのですね。
大奥

もし将軍が女で、大奥に使えるものが男なら……。逆転発想のおもしろさ。とはいえ、少々無理があるのは、そもそも大奥は将軍家の子どもをたくさん残すための知恵だとしたら、この逆転の発想は、なりたたないのです。が、そういうことを考えないで見ていると、質素を重んじ、民の暮らしを考え、命を重んじる女将軍の機転、特にどんでん返し、ばんざいです。

ただ道場の場面以外は、祐之進がどうしても侍には思えず、また薬問屋の娘信(のぶ)が、侍の息子である幼馴染の祐之進を「だんな」と呼ぶのに最後まで違和感がありました。
食べて、祈って、恋をして(eat-pray-love)

「恋人が変わるたびに、あなたは相手好みの女に変わってしまうね」と親友から指摘された彼女は、そんな自分がいやになり、自分探しの旅に出る決心をします。イタリア・インド・バリ。自分を自由に解き放すことによって、彼女は理想的なライフスタイル到達するのです。折も折、バリで出あった恋人からプロポーズされたのですが、そこに結婚を加えるとせっかくたどり着いた理想的な暮らしのバランスが崩れてしまうと彼女は思いました。

理想的な生き方も、時には、それが枷になってしまう……。生きていくということは、計算通りにいかないからこそおもしろいのです。自分の価値観にこだわる主人公と暮らしていく男性は大変かも。
TSUNAMIツナミ

韓国映画なのですが、日本語の吹き替えで、がっかりしました。韓国語はわからないのですが、特に口論の場面などは勇ましいやり取りを韓国語で聞きたかったです。地域開発を基盤に、何組もの男女の問題や家族のつながり、生活観が興味深く描かれていましたが、かんじんのツナミにリアリティがなかったです。
十三人の刺客

明石藩主松平斉韶は血も涙もない暴君で、目に余る残虐な行為をくりかえしていました。にもかかわらず、将軍の弟であるというだけで、来年には、老中という重要な座につくことになっていたのです。斉韶が老中になるなんて、だれの目から見てもふさわしくないことはわかりきっているのですが、が、当時、君主は絶対的な存在で、だれも前の将軍の子、であり、現在の将軍の弟である斉韶に意見をいったり、諌めたりすることができなかったのです。世のため、なんとか手を打たなければならないと思った江戸幕府の老中は、お目付け役の島田に、明石への参勤交代のときに斉韶を暗殺せよとの密令を出します。物語はここから始まります。

悪役斉韶を演じたのが、なんとスマップの稲垣吾郎ですが、なかなかの好演でした。
生誕100年記念 マザー・テレサ映画祭
B「マザーテレサと生きる」

マザーテレサは、どんな命もすべて神様から授かった命で、同じように大切だと思い、母親が個人的な判断で中絶することをとても嫌いました。日本を訪問したマザーテレサが、帰国後すぐに4人のシスターを日本に送り込みます。東京の「アリの街」といわれたところにです。それは、当時差別視されていた私生児とその母親を守る手を差しのべるためにです。

また、カルカッタのマザーテレサの元でボランティア体験をした医師山本夫妻は、台東区で在宅ホスピスケア施設「きぼうのいえ」を開きます。映画「おとうと」のおとうとが最後に看取られた施設が出てきましたが、たぶんこの施設がモデルになったのだと思います。ボランティアでハープを演奏ずる外国女性が登場したので、間違いないと思います。

マザーテレサの没後も、その精神は世界中で受け継がれているのです。
生誕100年記念 マザー・テレサ映画祭
A「マザーテレサの祈り 生命 それは愛」

マザーテレサが来日したときの様子、各地での講演や、歓迎ぶりなどが撮られています。マザーテレサの言葉は力強く、人の心に感銘とともにはいっていくのがよくわかります。この来日は、「神の愛の宣教者会」の修道院が日本にも開設されるきっかけになりました。

日本から、カルカッタにあるマザーテレサの教会にたくさんの人たちがボランティアとして参加しています。日本の医師山本夫妻もそうでした。ふたりは、帰国後、日本で個人的に「きぼうのいえ」を開設、マザーテレサと同じような活動をはじめます。Bでその様子が映されます。
生誕100年記念 マザー・テレサ映画祭  110
@「マザーテレサとその世界」

マザーテレサたちシスターは、「どんな人間も、最後は人に見守られて穏やかな心で神さまの元に行かせてあげたい」という思いで、カルカッタの路上で行き倒れになっている人たちの救助活動を始めます。行倒れの浮浪者たちを運び込む作業はシスターには過酷でしたが、やがてブラザーが手を貸してくれることになり、その活動は広がっていきます。そのドキュメンタリー映画がです。
ミックマック

流れ弾で頭を打たれた主人公は、人生を失ってしまいます。が、スクラップ工場の不思議な才能を持った仲間たちと知り合うことで新たな人生を歩み始めたのですが、あるとき、頭の中の銃弾を作った会社と30年前に父を殺した地雷を製造した会社を発見します。復讐したいという彼の思いに、仲間たちはそれぞれの不思議な能力発揮することで、力を貸します。コメディタッチのおとぎ話のような反戦映画です。

ミックマックというのは、「わたしの仲間(同胞)」という意味だそうです。
パリ20区 僕たちのクラス

パリ23区は、教育者にとっては厄介な地区です。24人の中学生たちは、国籍や使っている言語、家庭での価値観が異なっているのです。先生がこういえば、ああいう。揚げ足をとる。おとしめる。悪態をつく……。職員会議には、生徒の代表が傍聴しているので、これが厄介を巻き起こします。まるでドキュメンタリーそのものなのですが、24人の子どもたちはオーデションで選ばれた一般の子どもたちで、先生は元教師の原作者だと知り驚きました。フランス語がわかれば、倍、楽しいだろうなあと思いました。
怪談レストラン

子どもたちに人気がある本が原作。某編集さんが、少年の心をわしづかみにする本の一冊が「怪談レストラン」であり、あと一冊が「怪傑ゾロリ」だとおっしゃっていました。観終わって、「おもしろかった」といっていた子どもも、たしかにいました。「アリエッティ」を観ておもしろいと感じる子ども、「ベストキッド」の感動していた子どもいますし、動物をとりあげた映画に心を奪われる子どもたちもいます。本も同じで、子どもの心をつかむのは、それぞれだと思います。
君が踊る、夏

「青い鳥」とテーマは同じです。夢は東京にしかないと思って出ていった若者が、そうではないことに気づくという物語です。よさこいの踊りが見所ですが、踊りの先頭をいく、旗(まとい)の振りに見とれました。勇ましく、かつ優雅で、その美しい動きに感動しました。これを見ただけでも大きな収穫でした。男女平等というけれど、「男」には男にしかできない役目、「女」には女だからこそできる役目があって、それは決して差別ではないのだと感じました。
きな子 見習い警察犬物語

本で読んだよりも、数倍感動的でした。主役の女優さんの初々しさがよかったことや、見習い犬のどじ振りが、なんともかわいかったです。この映画には原作があるのですが、それを子ども向きに書いてもらえないかという依頼がわたしのところにありました。すでに大人向けとはいえ本が出版されているので、お断りしたといういきさつがある物語です。わたしには、どこまでこのように純粋に感動を伝えられたか……とふと考えました。
恋するナポリタン

なかなかおもしろかったです。彼女を取り巻く3人の独身男性がいます。幼馴染の彼の場合、死んでからも彼女を大切に思い、その彼の魂と入れ替わったため彼女を愛し始めた男性と、現実の世界で彼女を守ろうとする3人の男性のそれぞれの思いは、転じて、それぞれの男性に愛され守られるしあわせな女性の物語ともいえます。
バイオバザード アフターライフ

アクションも素晴らしのですが、SFの世界が機械化しすぎていて、緊迫感がいまいちなのと、ストーリーがわざとらしく創られすぎ感がありました。Vあたりのがよかったです。3D効果はいまいちです。なんでもかんでも3Dにしなくてもいいのでは。
ブリット

1968年のスティーブ・マックイン主演の映画を、セレクト映画として、映画館で観ました。ストーリーはともかく、40年前の町の様子、人々の暮らしぶり、当時の車やファッションをリアルタイムみることができて、興味深々でした。時代の最先端をいっていたアメリカとはいえ、病院もこんな程度だったんだと、逆に暖かさがあるというか、いい感じです。

マックイン扮する刑事と犯人のカーチェイスがあるのですが、実にリアリティがありました。昨今の映画はCGを使ったりして迫力はあるのですが、衝突の寸前をすりぬけたりしてうそっぽいところも多く、これはほんものだとうれしくなりました。こういう素朴なカーチェイスで、充分はらはらどきどきもスピード感も伝わるのだなと思いました。これでもかこれでもかというだんだんエスカレートしていくばかりの表現がいかがなものかと思いました。
カラフル

原作を読んで深く感動した場合は、やはり映画は観ない方がいいのかもしれません。映画が原作の内容と少し異なっていても、どちらもよかったのは、「阿弥陀堂物語」だけです。

「カラフル」では、原作ではっとしたところが伝わっていなかったように思います。ただ、小林少年が美術室で描いていた絵は、そうか、こういう絵だったのかと、なっとくできるいい絵で、とてもよかったです。アニメのお母さん、心の揺らぎが表情に表れていて、これも、とてもよかったです。肝心の主人公の少年と、特にひろかが、いかにもアニメキャラクターで、気持ちが削がれました。

願わくば、この映画は実写で、天使だけ、アニメにしてほしかったです。
特攻野郎Aチーム  100

命知らずの4人の特殊部隊の男たちは、作戦は奇をもって良しとするという通り、その大胆な計画で事態を打破していきます。うまくいかないときもあるのが絶妙にいいのです。罪を着せられ投獄。抜け出す。危機一髪。もうだめだと思うときに、彼らはひらめいて起死回生するのです。彼らに不可能はありません。不可能はことがあるとしたら、彼らをあきらめさせることなのです。ガンジーの影響を受け、作戦に協力するが人殺しはしないというメンバーも現れるのですが、いかなるときも、4人は深い絆で強く結ばれているのです。この4人の設定がとてもいいのです。

どれだけの火薬を使ったのでしょう。戦いは生半可ではありません。おとなをとことん楽しませて夢中にさせてくれます。激しいシーンの連続だっただけに、クールダウンしたラストシーン(手錠を外す釘の得た手法)に感動です。余韻が残ります。観客は、中高年の男性ばかりでした。
BECK   

楽しめました。自分のバンドを成功させたいというミュージシャンの熱い思いと業界のしがらみ、パシリをさせられていた高校生のターニングポイントが並行して進行しつつも、どちらもぶれずに描かれていました。

成功するには、才能がなくてはならないのはもちろんのことですが、運が味方につくかどうかも大きいのです。もし、野外ライブの最中に雨が降ってこなかったら、メインステージや第2ステージの観客が、人気のない第3ステージまで足をはこんだかどうか……、わかりやすい設定でした。

おもしろかったのは、人の心を掴んでしまうというボーカルの驚異の歌声がサイレントだったことです。え、何? と衝撃的でしたが、聴けなかった分、想像がどんどんふくらんでいったので、成功だったと思います。こういう表現の仕方があったのかと発見でした。
悪人

だれがいったい悪人なのかという問いかけに、映画を振り返ってみると……、殺人を犯した主人公が悪人であることはもちろんのこと、彼を追いこん要素に、幼いころ母親に捨てられた過去があります。解体現場で働きながら祖父母の面倒をみている日常では、なかなか恋愛も出来ず、相手を出会い系サイトで求めなければならないのです。その相手に蔑視されたにもかかわらず、それでも親切に振舞った彼に、彼女はレイプされたと罪をきせると追い込んだのです。殺人後、出あった恋人(深津絵里)に、警察に出頭する寸前、いっしょに逃げてと阻まれたことも、結果的には、彼を更に悪人に仕立てることになるのです。

また、旅館の御曹司の大学生を傲慢に育てた親も、自分の娘の実態を見抜けなかった被害者のOLの両親も、隠れ悪人なのかもしれません。老人対象の詐欺販売も描かれていました。過激な取材陣も決していいとはいえません。世の中、悪人だらけです。

彼が逮捕される寸前に深津絵里の首を絞めるのですが、これは、彼の彼女に対する愛情に思えました。これで自分への思いを断ち切ってほしいと願う……。この映画で、深津絵里はモントリオール世界映画祭の主演女優賞をもらったのですが、先入観のない受賞前に観たかったです。
ネック

怖がりな少年と、幽霊やおばけが大好きな少女。そのふたりがおとなになってからの物語です。

少女は大学院生になり、幽霊やおばけを発生させるネックという機械を発明中です。幽霊やおばけは、怖いと思う想像力が生み出すと信じ、実際少女のころ体験もしている彼女は、それを立証したくてその機械を作ったのですが、あと一歩というところで、なかなか完成しません。そんな折も折、怖がりだった少年に再会します。少年は、売れっ子のホラー作家になっていたのです。彼は、あいからわらずの怖がり屋なのですが、実験に協力してほしいという彼女に、いわくつきの人形師の山荘へ行こうと誘います。

キャラクターの設定はよかったのですが、ふたりの会話のイントネーションに違和感を感じました。関西弁ならあれほどひどいものが通るはずはなく、いったいどこの方言でしょう。
ヒックとドラゴン

一人前のバイキングとして認めてもらうためには、村を襲ってくるドラゴンを倒さなければなりません。ヒックは、偉大なバイキングのリーダーである父親とは違ってとても臆病で、他の若者のように勇敢に戦うことができないどころか、バイキング全体の足手まといになるだけなのです。父親たちはドラゴンの巣を探して、一気に撲滅させるつもりでいます。

そんなある日、ヒックは傷ついて飛べなくなったドラゴンに出会います。なぜ、飛べないのか……。なぜ、襲ってくるのか……。ヒックは戦うだけでなく、ドラゴンを理解することで、問題を解決していきます。何が大切なのかということを、わくわくどきどきのうちに教えてくれます。

それにしてもなんとたくさんのドラゴンたち。カラフルで奇抜で、想像力をかきたててくれます。
おかんの嫁入り

にやけた金髪の若い男性からのプロポーズを「お引き受けした」のは、おかんでしたが、実は、そのおかんの苦しみを丸ごと「お引き受けした」のは、彼だったのです。「いきなりなによ。しかもちゃらちゃらしたど派手な男」と娘は反発しますが、心から支えあえる相手は年の差でも、見た目でもないのです。

彼がど派手なちゃらちゃらした姿でいるのにも、おかんが娘になかなか告白できなかったことにも、また娘が反抗的になるのにも、みんなわけがあるのです。人はだれもが深い葛藤を抱えて生きているとうことなのでしょう。笑ったり、泣いたり、感動がこみ上げてくるいい映画でした。

京都の路地住まいも心地よかったです。
ちょんまげプリン

江戸時代からタイムスリップしてきたサムライの戸惑いがうまく描かれていました。文化の進化は、衣食住だけではなく、男と女の立場のわきまえ、言葉遣い、礼儀、恩義、すべて変わってしまったことがよくわかります。また彼を保護(?)することになった若いシングルマザーの育児と仕事の板ばさみ状態や、保育園児の息子の子どもらしい自由奔放さも自然に描かれている中での3人の関係に好感が持てました。

サムライの「奥向き」への取り組みをみていると、家事も「仕事なのだ」と再確認します。今の時代、家事を片手間にしていることや、言葉や礼儀作法の乱れが、いろいろな社会現象を生むことの根底にあるのかもしれません。江戸時代にすでにプリンがあったのは、「神隠しにあった」サムライが……につながっていくおもしろいストーリーでした。
キャタピラー

戦地で四肢を無くして帰ってきた夫は、「生きた軍神さま」と崇められるのですが、その世話をしる妻は、穏やかな気持ちではいられません。戦地に赴くまでの夫は、妻に決してやさしくはなかったのです。子の出来ないことをののしり、暴力をふるってきたのです。今とて同じです。わずかな食料を妻と分かち合うことができず、じぶんが軍神であることを誇示して、ほしいだけ食べようとします。食欲・性欲・そして寝ているだけ……。

体が不自由になり口が利けなくなった夫と妻の立場は逆転します。妻は、嫌がる夫に勲章のついた軍服を着せ、リヤカーに乗せて村を巡回します。夫には屈辱的な行為です。更にそれに加えて、夫は戦地でしてきた己の無謀な行為に責めさいなまれます。

生きて帰ってきたよろこばしいできごとが、果たして幸せなのか……。そして終戦。戦争への抗議が、新しい切り口で描かれています。
老人と海

ヘミングウエイに同じタイトルの作品がありますが、それとは全く別に、与那国島の老漁師の5年間を追ったドキュメンタリーです。カジキの餌にするための魚すら思うように釣れなくなった老漁師は、それでも毎日釣りに出かけます。そんな彼に現役の仲間たちは暖かく、老妻も変わりなく夫を支えます。そして、ある日、とうとう彼は、待望のカジキに出会うのです。

与那国島の伝統文化や暮らしぶりも興味深く、また若者が島にたくさん残っているのも素晴らしいと思いました。
トイレット

母親の死で取り残されたのは、それぞれ身勝手にわが道を生きている三兄妹と猫のセンセイ。それに母親が日本から呼び寄せたおばあちゃん。言葉の通じないおばあちゃんはほんとうに自分たちの祖母なのか。疑問に思った長男は、おばあちゃんと自分の髪をドナ検査に出しますが、とんでもないことがわかります。

言葉は通じなくても、心の真ん中でつながっている家族が描かれています。

名わき役は便座。制作費はTOTOから出ているといっても不思議ではないほど、日本のトイレ技術の素晴らしさを伝えってあって、まるでPR映画のようでした。

「かもめ食堂」「めがね」の荻上直子監督の作品でしたが、視点はしっかり海外目線でした。土葬ではなく火葬した場合は「灰」になるといわれますが、実際は「灰」ではなく「お骨」なのですが、「灰」を蒔くという描写も外人並でした。
ハナミズキ    90

高校三年生からの10年間を新垣結衣が、違和感なく演じています。変わることがないようにと誓った恋愛の微妙な心情の変化が、うまく描かれていました。たとえ別々の道を歩んでしまっても、心の奥でしっかり結びついている愛は、いつかきっと……。それは、主人公のふたりに限らず、登場人物のすべての人がそうなので、きっと身近に感じることが出来ると思います。

一青拗のヒット曲「ハナミズキ」からイメージかれた映画だそうですが、<君と好きな人が百年続きますように>という歌詞には、愛するひとの幸せをひたすら祈りつつも、忘れられない思いが切ないのですが、この映画はその思いが通じるというか、観終わったあと、ぐっとこみ上げてくるものがあります。
キャッツ&ドッグス 地球最大の肉球大戦争

ありえないという度胆を抜かれる設定で、物語が始まりました。人間は脇役。犬とねこが主役のSFファンタジーとでもいえばいいのでしょうか。人間にうらみを抱いた猫が衛星中継を使って、人間を忠実に守ろうとしている世界中の犬に人間を襲わせようと企んでいます。この危機を乗り越えるには、犬と猫が協力しあわなくてはならないのですが、困ったことに双方はワンニャンの仲……。残された時間が迫ってきます。警察犬失格の犬は、果たして活躍できるのでしょうか。
東京島

女は強い。そして母はもっと強い。孤島で生き延びるために、きよこはいつも自分に都合のいい選択をしてきたのですが、そのしっぺ返しがきます。が、それでもしたたかに生き抜いて、すべての漂流者を見捨ててまでも、脱出してしまうのです……。

10歳になった娘に、母が東京島でのできごとを話した後、いったい何が起こるのでしょう。

出発のときに、どれを持っていこうかと悩んだトランクの中味も、無人島に漂流してしまっては、何の役にも立たないといわれているのですが、エルメスのカレ(大きいスカーフ)、目立っていました。使い方も素敵でした。東京島のオリジナルが発売されたそうです。
インセプション

人の潜在意識の中に入り込んで架空の世界を立ち上げ、情報を得るという不思議な設定が魅力的なストーリーでした。今いる世界が現実なのか、あるいは架空の世界なのか、確かめるのは小さなベーゴマを回転させてみること。が、何段階も記憶の奥に入り込んでいくと、判断するのが難しくなっていくのです。架空の世界を現実と思い込んだ妻の幻影と、故郷で父の帰りを待っている幼子の間で、主人公の心は揺れます。

複雑な世界から生還して幼子を抱きしめることができたので、契約時の約束は守られたことはわかるのですが、危険をおかしてまで引き受けた仕事そのものは、成功したのでしょうか? 
コロンブス 永遠の海

新婚旅行に、コロンブスの生誕地を訪ねるのが医者でもある夫の夢でした。が、そのとき訪れた土地はコロンブスとは何の縁もなく、見つけることが出来ませんでした。コロンブスの軌跡を追い続けて長い年月が経ち、夫妻は老年になりました。いい映画なのでしょうが、単調な繰り返しでコロンブスに興味のない者にとっては退屈で、何度も睡魔に襲われました。が、結局、こういうことなのかと勝手に理解しました。終わることのない夫の夢につきあってきた妻の人生は、まさにひとつの長い航路だったのかな……。
トロッコ

台湾人の父親を亡くしたふたりの少年が日本人の母親と父の故郷を訪れることで物語が始まります。母親に対して反抗的になっている兄の成長物語なのですが、背景に、台湾が日本に支配されていた時代があって、日本軍の帰還とともに切り捨てられたという重い事実があります。台湾人の祖父が日本兵として献身的に働いたにもかかわらず、日本の撤退と共に切り捨てられ何の保障もしてもらえない事実は切なく、心苦しいものですが、日本人が残したトロッコ鉄道を、「日本人の技術はすばらしい」といって、いまだに大切にして暮らしている生きざまが、現地の風景と共に心に響いてきました。

白い箱に入って帰ってきた息子を、気持ちとは裏腹に、ののしって、杖で叩いてから家の中に入れるという風習にも、親に先立つ子の親不孝を戒めるのだそうで、胸を打たれました。

原作が芥川龍之介だと知って、こんなノンフィクションに近い作品も書いていたのかと驚きました。
ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者

国籍がどこであれ、ヒロシマで被爆した人には、その治療と保障があるべきだと思いますが、ピョンヤンに住んでいた彼女が、日本の招きがあったにもかかわらず、なぜ手帳の認定を受けに日本に来なかったのかがわかりません。「身の安全の保証がない」と彼女はいっていましたが、日本語も流暢だし、ヒロシマには、会いたくてたまらない母親が妹一家といっしょに住んでいるというのに、何が不安なのでしょう。「すべてが将軍様のおかげです」といっている彼女にとって日本は遠い国なのでしょうか?

彼女は母親に会いに来てほしいと願っているのです。母親が会いに来られないのは日本政府が、万景峰号を寄航させないからだと日本の制裁を責めていたのですが、いずれにしても母親は高齢なので、とても渡航は無理だと思います。そして、とうとう母親は亡くなってしまうのですが、そのことも彼女にとっては、日本の責任ということになるのでしょうか? 
魔法使いの弟子

もしも魔法が使えたら……って、だれもが一度は思ったことがあるかもしれません。が、ある日、突然、「実は、君は魔法使いだ。悪の手から世の中を守るために、すべてを捨て、今すぐ弟子になって魔法の修行を」といわれたとしたら、それは、どきどきわくわくでは、すまなくなってしまいます。

主人公は、少しも魔法が上達しないまま、悪の魔法使いが蘇り、その中に巻き込まれていきます。修行に恋は邪魔だといわれつつも、子どものことから大好きだった彼女を守ろうとする思いが、魔法の指輪を差し出すことになるのですが、ほんとうの魔法は、指輪などに頼らなくてもいいのです。恋人と力を合わせ、師匠にかけられた魔法まで解いてしまうのです。
ベストキッド

主人公の少年は父親を亡くし、母国アメリカを離れ、母親と北京にやってきます。そこでカンフーに出会うのですが、カンフーは、本来は、「戦って勝つ」ためにではなく、「身を守る」ために学ぶ技なのだそうです。が、勝つことを目的に教え、勝つためなら手段を選ばず卑怯な手を教える道場があるのです。歪んだ道場で学んでいる子どもたちに、少年はいじめを受けてしまいます。あわやという場を救ってくれたのは冴えないマンションの管理人。実は彼はカンフーの達人だったのです。

管理人は、少年にカンフーを教えるといっておきながら、させることは、上着をかけたり、脱いだり、捨てたり、拾ったり……の繰り返しばかり。少年は嫌気がさしてしまいますが、実は、日常のありきたりの動作の中にも、カンフーの技は存在しているのです。日本の茶道の動作と同じだと思いました。今、日本人に優雅さが欠けるのは、伝統を忘れているからだと電車で化粧をしたり、道にしゃがんでたむろしている若者を見るにつけ思います。

主人公を演じた少年はもちろん、適役の少年たちのカンフーも素晴らしかったです。
ソルト

ロシアからの亡命者を取調べ中にスパイ呼ばわりされたCIAの彼女は、いきなり追われる立場に。CIAから逃げ切ることができるのか、どきどきします。彼女はほんとうにロシアのスパイなのか、あるいは……。いったい何者なのという思いが頭をかすめながら、アンジェリーナ演じるイブの明晰な頭脳と、鍛え抜かれたアクション技に見とれました。

アメリカ人でありながら幼いころ両親を亡くし、ロシアのためならどんなことでもするよう洗脳された子ども時代。孤独の中で出あった最愛の夫の身を案じながらも厳しい現実に翻弄されていきます。どんな時にも、自分を失わない、あきらめない彼女の強さ。ヘリから川に飛び込み(CIAの仲間に逃がしてもらう)、林の中を逃げていくシーンで終わっていました。この結末をどう理解すればいいのでしょう。続編がある? それとも……。
川の底からこんにちは  80

予想以上のおもしろさでした。若干23歳。花の青春にもかかわらず、すでに5人の男に捨てられ、他人から評価がもらえないどうでもいいという若い女性の生き方が、とてもうまく描かれていました。「わたしは中の下の人間。それがどうしたろいうの。しょうがないじゃないか」。すべてを受け入れて開き直り、「中の下」をけんめいに生きようとしたとき、箸にも棒にもかからないような彼女が光って見えます。主役の女優さんのうまさにうなりました。他の出演者も知らない俳優さんばかりで、それがとてもよかったです。
グッドモーニング プレジデント

韓国の3人の大統領の公私がおもしろく描かれていました。大統領も人の子。人に話せない悩みがあるあります。そんなとき大統領が訪れるのは官邸の厨房。そこには、大統領の健康を考えて、日々メニューを考えているシェフがいます。主替われどシェフは替わらず。シェフのさりげない言葉が大統領を奮起させ、決心させます。

体だけではなく、人の心は食事で支えられているということがテーマ……だったんだ。最後にストンと落ちました。
彼とわたしの漂流日記

サラ金の利息が莫大になり、その金額を確認した彼はとても返せないと痛感、「勇気が出ました」と、橋から飛び降りるのですが……。九死に一生を得た彼がたどり着いたのは、川の中ほどにある大きな中州。ここでロビンソンクルーソのような自給自足の生活がやむなく始まるのです。下痢、鼻水、生活力のなさ……。徹底的にかっこ悪いのですが、それを望遠カメラで捉えたのは引き篭りの女性。ノーメークで退廃的。どちらも俳優としてはイメージダウンになりかねたい役どころを、彼も彼女も、体当たりで演じていました。なかなか味のある映画でした。
ネコを探して

いきなりアニメーションから始まったので、アニメーション映画なんだと思っていたら、そうではなく、鏡の中に消えた飼え猫を探して、時空を瞬間移動し、それぞれの時代、国で、猫が人間と共存してきた様子が実写されます。フランス映画なのですが、駅長「たま」が登場したのには、驚きました。貸し猫、送り猫、ネズミ番人猫……など世界の猫が登場しますが、猫の歴史でもないし、自由を謳っているかと思えば、人間に束縛されている猫もいるし、命の重さも伝え切れていないし、付け合せばかりで盛り付けられたパーティのお皿といった感じがして、不燃焼なまま終わりました。
シュアリー・サムディ

小学生のころから仲良しだった5人の少年は、高校生になりロックバンドに夢中です。文化祭に出て、もてようという魂胆なのですが、突然文化祭が中止に。「学校に抗議をしよう」が結果的に、学校を誤爆させることになり、爆破犯のレッテルを貼られてしまいます。将来の道は閉ざされ、以後何をやってもうまくいかないまま3年が経ちました。それぞれが偶然出会うことになるのですが……。フラッシュバックがとても効果的に取り入れられていること、5人の個性がそれぞれ魅力的なこと、とてつもない身の危険に巻き込まれていくこと……、予告編を数倍上回るおもしろさで、あっというまに2時間15分が終わりました。逮捕されるために銀行強盗に行く終わり方も、愉快でかつ爽快な青春映画です。小栗旬の初監督だそうですが、恐るべし。
百合祭

京都シネマで浜野佐知監督作品を3本上映しています。その1本が「第七官界彷徨」で、もう1本が「百合祭」です。古アパートでのそれぞれの老人の暮らしぶりがおもしろそうだと思ったのですが、なかなかユーモラスな映画でした。往年スターの日活女優さんたち(吉行和子・白川和子・中原早苗・原千佐子)も、みんな年をとられたのですねえ……。妙な安心感がありました。ミッキーカーチス演じるおじいさん、なかなかよかったです。

上映後、監督と、ひびのまことというスカートをはいた男性との対談があって、なるほどそういう活動の一環だったのかと納得しました。浜野監督は、元日活のポルノ映画を撮っていた方で性についてさまざまな考えを持っている方で、この映画のテーマは男女という枠を取っ払った性の開放のようでした。それはそれでわかるとして、ラストに、吉行和子と白川和子演じるおばあさんふたりがいったセリフに引っかかりました。「わたしたち、昨夜、いやらしいことをしましたのよ」。性の枠を外すことがいやらしい……。この一言で、せっかくの映画がだいなしになったような気がしました。
第七官界彷徨 −尾崎翠を探して−

昭和の初期に活躍した尾崎翠という女性作家が故郷鳥取で、臨終の床に就いています。そこに東京から友人が見舞いにきて、フラッシュバック……。過去への断片的な蒔き戻しの繰り返しで、物語が進んでいきます。上京した彼女の、東京での奇妙な同居を中心に描かれています。部屋の中で糞尿を煮る学生、精神医を目指す医学生、従兄弟の音大生。そこでの彼女の仕事は、おさんどん。おさんどんをしつつ、人間の第七官(感)を詩に託したい彼女は、やがてクスリにおぼれ、精神に異常をきたす時代もあったようです。

女性はまっすぐな黒髪が命だったあの時代、赤毛で縮れっ毛の彼女は、それが葛藤になって作家になる原点だったのかもしれません。
アカシア

老人ばっかりになった古い県営住宅にひとりで住んでいる元悪役プロレスラー大魔神は、わが子をいじめによる自殺で失っています。いじめの原因は、物語が進むに連れて判明していきますが、そのプロレスラーが夏休みの間、少年を預かることになるのです。アントニオ猪木の俳優としての素晴らしさは評判になっていますが、わたしが素晴らしいと思ったのは、少年のセリフです。そのすべてがわざとらしくなく、子どもらしくって、とてもいいのです。
アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち

演奏歴60〜70年、今なお現役で輝き続けるマエストロたちの演奏の素晴らしさを堪能しました♪ 年を重ね、歩んできた人生の深さが、ギター、アコーデオン、ピアノ、歌……となって、心に響いてきます。映画を観ていて、思わず映画の中の観客と拍手を重ねてしまいました。老いてますますタンゴへ傾ける情熱的な生き方。指先で譜面をなぞっているのではなく、それぞれの人生を織り込んでいくような老熟した演奏の妙味に、音楽とはこういうものだと感嘆しました。熱くなります。人間ばんざい♪
借りぐらしのアリエッティ

床下に住んでいる小さな人たちの暮らしぶりを映像で観られることの素晴らしさ。その一言に尽きます。アリエッティは、ふたりの少年に出会います。人間の少年がアリエッティに与えてくれたことは信頼。一個の角砂糖のように価値のある体験として、希望につながることでしょう。アリエッティの一家は、さまざまな試練の末、住みなれた家を出ることになるのですが、こびとの少年と出会いで、種族が滅びないで繁栄していくであろうと未来に光を感じることができました。

すんなり物語の世界に浸りつつも、ひとつだけ違和感がありました。アリエッティのお母さんの風貌です。ちょっと違うかな……と最後まで思っていました。吹き替えの声とも合っていないと思いました。
ザ コーヴ    70

ドキュメンタリーなので映像に偽りはないと思います。イルカ漁の賛否が問われていますが、そのことについては、牛も豚も食べているわたしには答えることができません。日本の食文化を問うよりも、まず、ぜひしなければいけないと思ったことは、一網打尽に追い込んだイルカを、立ち入り禁止の場所で秘密裏に処分しているその方法です。イルカに苦痛を与えないように瞬時に処分しているとインタビューに答えていた役所(だったかな)の人もその映像を見せられて、初めて状況を知ったようです。正々堂々と、隠れることなくその実態を見せることができてこそ、食文化だといえるのではないでしょうか。日本で行われているイルカ漁の実態を教えてくれた映画でした。

ドキュメンタリー映画「命の食べ方」を観ても感じたことですが、命をいただくのです。最後はせめて……と思わずにはいられません。
仁寺洞(インサドン)スキャンダル −神の手を持つ男

古い美術絵の修復に神の手を持つ男の物語というので、実際にそういう人がいるのかと思い、「胡同(フートン)の理髪師」のような作品を想像していました。全然見当違いで、欲と陰謀、詐欺と裏切りの暴力映画でした。仁寺洞は、通り沿いに多数の骨董品店・古美術店・陶磁器店・ギャラリー・喫茶店・伝統工芸品店・土産物店などが並ぶ、ソウルの文化の街として知られているそうで、設定場所としてはもってこいでしょう。

ラスト、主人公たちは蘇って上海に移動。そこで新たな何かが起こりそうな終わり方は、よかったです。
ねこタクシー

たしかに猫はかわいいし、そんなタクシーがあったら癒されるでしょう。が、ナビもうまく見ることができず、客との応対も不得手で打ち上げが最低ののやる気のないが、猫をタクシーに乗せただけで、それらのことがクリアーできるとは思えないのです。一年間で動物取り扱い者の資格をとるために努力したにしろ、問題を起こしてやめた学校の先生職に、再び戻っていけるかものかどうか……。また、ねこ屋敷の問題は解決したのでしょうか? 自宅のマンションでねこは飼えないと妻がいっていました。これも未解決のまま終わっています。でも、やはり猫はかわいいです。見ているだけで癒されます。
トイストーリー

子どもにとって大切な相棒だったおもちゃたちも、成長とともに次第に不要になっていきます。ごくあたりまえのできことが、なぜ、こんなに感動を呼ぶのでしょう。いつまでも子どもたちと遊んでほしいと願うおもちゃの敵は、おもちゃを忘れてしまう子どもではなく、意外なところにありました。それと戦うには、おもちゃたちの仲間を思う心、信じる心、助け合う心、あきらめない心、持ち主だった子どもを愛する心……が力になるのです。

子どものすべてが、必ずしもおもちゃたちを幸せにできるわけではないのです。おもちゃを幸せにできる子ども。それはいったいどんな子どもなのでしょう。アンディのおもちゃたちが妹ではなくて、同年齢の女の子の元に行くことになるのですが、その答えにつながります。
アデル/ファラオと復活の秘薬

ファンタジーといってもいいのか、こういうことが起こればおもしろいだろうけれど、ありえない都合のいい物語です。古代の秘薬ってミイラが復活しなくても、博物館の棚にあったのですから、それをつければすむことであって……。エンドロールが流れたとき席を立ちました。わたしだけではなく、かなりたくさんの人が……。ところが出口にいた係員に、「まだ終わっていません」といわれ、ぞろぞろ席に戻りました。確かに……。主人公がクイーンエリザベスに乗り込むところで終りなのは中途半端だと思っていたのです。が、おまけの数分間は、別にどうでもいい情報で、さらにがっくりしました。子どものように純真な心で観ると、楽しめるかも。
ザ・ウオーカー

天の穴が破壊されたため世界が滅亡、廃墟となっています。生き残ったわずかな人々は食べ物などを略奪しあい、殺伐としています。そんな中、主人公は、西へ西へと旅しています。彼は、たった1冊だけ残ったある本をお告げにより届ける途中なのです。旅先で、その本を狙う男が現れます。男は水の権利を抑えて人々を牛耳っているのですが、更にその本を利用して専制君主になろうとしているのです。戦いの末、大切な本は、男に奪われてしまうのですが……。

思いがけない終わり方でした。最後の数分間が、この映画のメッセージで、残りの時間は、そこにたどり着くためのイントロに過ぎなかったのですね。人はどのように生きるべきか、問いかけるいい映画でした。
踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!

アイアンマンもそうですが、続編というのはなかなか難しいと思いました。前回の物語が素晴らしければ素晴らしいほど、かっがりしてしまいます。この映画を見て余韻が残らなかったのでは、@2の レインボーブリッジを封鎖せよ!が抜群におもしろかったことと、今回は、やたらスターというべき役者が出てくるのですが、Aまるで顔見世のようでどの役柄も浅かったこと B犯人が見えていたこと C緊迫感がなかったこと D誤診が早く明かされたことで感動が笑いにすりかえられたこと……などがあげられます。

それにしても、レインボーブリッジの湾岸署、実際にできたのですね。
アイアンマン2

アイアンマンパート1は、主人公が親から引き継いだ大会社の社長で、遺産の莫大さや、社会人としての主人公の存在感もあって、もっとおもしろかったように思います。今回は、アイアンスーツを着て、親の代からの敵と戦うだけで、ストーリー的には物足りなかったかな。スーパーヒーローを信じておとなになった人たちのために作られた映画と思うことで納得。
クレージーハート

酒と女と……4回離婚して、人気も下降。ツアーとは名ばかりで、地方の酒場まわりをさせられている歌手の年齢は57歳。新曲を書けといわれても、イメージがわいてきません。彼が育てた若い歌手が売れているのも気に入りません。そんな中で出会ったのがシングルマザーの女性記者。彼女の4歳の息子に会って、彼は、今まで捨ててきた自分の人生を振り返ります。彼にも、4歳のときに別れた子どもがいるのです。もう28歳になっているはず……。

やっと見つけた愛を失ったとき、新曲が生まれます。せつなく人の心にしみるようなその曲は、彼が育てた歌手によってヒットの兆しが……。
あの夏の子どもたち

3人の娘の父親はとにかく忙しいのです。携帯電話をいくつも持ち、車中でも電話、家族といても電話、歩きながら、階段を上りながら……。靴を引きずるようにせわしなくあるくくせ……。心ここにあらず……。彼の空回りしている忙しさがうまく描かれていました。

彼は家族を愛していました。子どもにもやさしく、子どもも彼になついていました。が、彼はそれ以上に仕事も愛していたのです。まさに手いっぱい。映画製作を手がけている彼の会社は資金繰りがたいへんでした。今まで作った映画を手放せば乗り越えられるのですが、それを手放せずにいるのです。ゆっくり考える時間のゆとりのありません。その彼がとった手段は、ピストル自殺でした。

そこまでは、うまく描かれていましたが、後半は、ありきたりでした。というか、倒産して終わりかいな……という思いがしました。タイトルが「あの夏の子どもたち」とあるからには、子どもたちがなにか行動を起こし、行く手に見える希望の光がほしかったです。映画の最後に流れる曲が、「ケセラセラ」。なるようになるといいたかったのかもしれませんが。
ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い   60

モーツァルトの傑作オペラ誕生秘話を描いた物語です。聖職者でありながら女性に対して自由な考えも持つ若いダポンテは、ベネチアからウイーンに追放されます。ウイーンでモーツアルトと出会っい、いっしょに、世間を驚かせるオペラを創ることになるのです。物語の構想は、本の中の一枚の絵、ゴンドラで運ばれていくドン・ジョバンニの白い大きな銅像、あこがれの女性への思い……。彼を支援してくれるのは、ドンファンで名高いカザノバ。
空とコムローイ 〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜

おとなが働きに出かけている間、多くの子どもたちは、イタリア人神父の設立した施設に預けられています。この村は貧しく、麻薬や人身売買のためエイズにかかる者も少なくないのです。この施設出身の母親も、エイズにかかり、ここに幼い娘を預けました。母親は亡くなり、幼い娘は神父をおじいちゃんと呼び、世話をしてくれるタイ女性をおばあちゃんとなつき、のびのび育ちます。

施設は、ひなどりの巣のような場所です。たとえ実の親がいなくても、巣さえしっかりしていて、見守ってくれるおとながいれば、子どもは心も体も健やかに育ち、やがて羽ばたいていくのです。日本女性が、カメラ一台を引っさげてこの村に通い撮ったドキュメンタリーです。
マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」があまりにもよかったので、期待して観にいったのですが、途中であきました。彼の歌やダンスは一切ありません。マイケルをキング・オブ・ホップと崇める人たちの熱狂的な叫びと、これに応えるマイケルをカメラが追います。たしかに、彼は、歌手として素晴らしいだけではなく、福祉にも力を注ぎ、大きな人類愛で人々を魅了していたに違いないのですが、そんなマイケルを崇める人々の映像を2時間も見せられると、うんざります。マイケルの整形した顔が仮面のように見えて、笑顔まで作り笑いのように、行動まで偽善のようにみえてくるのです(決してそんなことはないにもかかわらず)。

映像の後半で、よく登場してくる彼の身近な人物の顔に、常に紗がかかっていました。なぜ、その人は、自分の存在を消すことを望んだのでしょうか。うさんくさいです。
孤高のメス

日本ではまだ法律で禁じられている脳死肝移植に取り組む医師。その医師の人柄と手術の腕は観客としてじゅうぶんわかっているので、法に背いていても医師として正しいことをするのだと納得できるのですが、もし、売名を先に考える医師が執刀する可能性もあるわけで、安易にその行動が正しかった、素晴らしかったと思ってしまうのは、怖いです。

ライバルの医師はだれが見ても医師としてあるまじき人間として一目瞭然わかるように描かれているのですが、普通、患者が担当医がどんな考えと腕をもっているかわからないもので、医療とは何か、医師とは……。考えさせられました。
セックス・イン・ザ・シティ2

ニューヨークで自由奔放に恋もし、仕事もして、華やかに暮らしてきた4人の女性の今物語です。自由人サマンサは、美しさを保つためにサプリメントが手放せない。2人の幼児の子育てに振り回されているシャーロットは、いつもいらいらしている。仕事人間のミランダは結婚して子どももいるのに、仕事への執着がある。幸せな結婚をしたはずのキャリーも、夫との価値観の違いに幻滅を感じ、1週間のうち2日は別に暮らそうと提案している。

そんな最中、4人は中近東に招待されるのですが、そこでの価値観の違いに、それぞれが感じることがあったのです。それにしても4人の服装のど派手なこと。大阪のおばちゃんのセンスと、どっこいどっこいです。
FLOWERSフラワーズ

曾祖母・祖母・母・そして娘たち、四世代七人のそれぞれの結婚観を描いた物語です。親が決める結婚が当たり前だった遠い時代から、結婚より仕事、男女同権を主張して面倒くさい女といわれた時代、愛する人を失い、その面影を抱いて生きている妻、自分の命を引き換えにしてまでも子どもをこの世に送り出したい母、また母の命と引き換えにこの世に生まれてきた娘、悩んだ末、シングルマザーという選択を決心する未婚の母……。自分らしく生きることの難しさと大切さが伝わってきます。

さりげない服装が、時代を語っていました。
つむじ風食堂の夜

「二重空間移動装置」という万歩計をつけていると、行きたいところに行けるというのですが……。それは、その装置をつけて歩いた距離をいうのでしょうか、それとも心の思いなのでしょうか……。

7章仕立てになっていることや、オーバーな演技は、まるで舞台を見ているようでした。
京都太秦恋物語

家業を継ぐか継がないか、やりたいことが他にある子どもたちにとっては、厄介な問題です。親がしているからさせられるという押し付けがいやなのです。偶然にも映画に出てくるクリーニング屋と豆腐屋は、わたしも物語に書いたことがあります。他に漬物屋も。みんな決して楽な家業ではありません。朝早くから一日中、もくもく働かなければなりません。ただの豆腐屋のおやじで一生を終えることに意義を見つけられるのか……。かって映画で栄えた太秦の商店街をドキュメンタリータッチで描きながら、そこに住む若者の恋の行方を追います。

名匠・山田洋次監督のもとで立命館大の学生たちが映画を作るという試みが素敵です。
パーマネント野ばら

男と女のあけすけなやりとりに、「おやおや」と思いながらも、何か引っかかるものがありました。そういうことだったのかと、切なさに胸がしめつけられるのは、映画の終盤になってからです。心で受け止められないほどのショックなできごとが起こったとき、人はどこに逃げ込んでしまうのでしょう。

西原理恵子原作のもうひとつの映画、『おんなこ物語』を思い出しました。3人になかよりグループのその後という設定は同じでした。
オーケストラ

オーケストラは、楽器を演奏する人の「技」だけではなく、「思い」集めて告白する場だと指揮者はいいます。

ボリショイ音楽団が政治的抑圧を受け、団員は離散。指揮者は清掃員として劇場に残り、働いています。パリからの演奏依頼のファックスを偶然見て、昔の仲間に召集をかけるのですが……。まじめな指揮者は、どうしてもパリで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏したいとみんなを説得しますが、団員はオーケーしたものの、それぞれおかしなはちゃめちゃな人たちばかり。リハーサルにも来ません。どたばた笑いながら物語は展開していくのですが、心の中に静かに反戦の思いが浸透していく……。すご技の映画です。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲圧巻です。最初から、最後までクラシック音楽のすばらしさを堪能できます。
こまどり姉妹がやってくる ヤッ!ヤッ!ヤッ!  50

貧困の北海道で、浜に落ちている昆布をかじって飢えをしのぐこともあったという貧しい少女時代を、どうやって生き延びてきたのか。好きで歌手になったのではないというふたごの姉妹の波乱万丈の人生を赤裸々に捕らえたドキュメンタリーは、心を打ちます。生きる自信や目的を失って引きこもったり、気持ちがすさんでいる若者たちにぜひ見せたい映画です。

舞台挨拶がありましたが、パワーいっぱいのお2人が、思っていたより小柄なので驚きました。厚化粧であることを映画の中では逆手にして笑いをとっていましたが、すでにお年も70歳をすぎた今、お化粧もそうですが、袖の長い着物を着て歌わなくてもと思うのですが……。
RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の物語

子どものころの夢を実現した男(夫)の物語は、同時に家族の物語でもあるわけで、妻と母と娘、どの立場で観ても感動できる映画です。バタデンの走る風景は、日本のふるさとのイメージそのものです。80年走り続けている古い電車は、電車を思うたくさんの人々に支えられているからこそ走っていられるのです。人の一生も同じなのだと感じ入りました。雲がとてもきれいでした。
十七歳の肖像

イギリスはロンドンに住んでいる16歳の少女は脇目も振らずオックスフォードを目指しています。が、大人の恋人ができて、行きたくても行けなかった音楽会に行き、美術館に行き、パリにも行き、別の世界を見てしまいます。勉強なんかするより、結婚したほうが早道だと思い、諭してくれる教師に向かって、「ケンブリッジを出たって、それが何なの? ここで教えているだけじゃないの」とほざいて退学してしまいます。ところが……。

分別ある真面目な両親がそばについていても、その両親も共に道を誤るときもあるのです。虐待を受けていたプレシャス(下記の映画の主人公)も、この映画の主人公も、いい教師にめぐり合えたことで、自分らしい道を歩んでいくことができるのです。人は出会いがすべて。危険な出会いもあれば、すばらしい出会いもある。それが人生なのですね。
プレシャス

母親からは殴られ罵られ、父親からは性的虐待を受けているプレシャスは、中学生なのに2度目の妊娠中です。こともあろうに父親の子どもです。両親はプレシャスを利用することしか考えていません。妊娠がわかり学校を退学になるのですが、学びたいという思いと愛されていないという思いで、プレシャスは、ずたずたになります。プレシャスは親から虐待を受けていることを隠していますが、問題児ばかりを受け入れてくれる学校にたどり着き、心を開いて打ち上げたとき、救いの手を差し出してくれる人たちが現れます。どんなときにも、つよく願えば道は開けてくるものだと、2人の幼児を抱え、強く生きようとする主人公に感銘を受けました。
運命のボタン

ある早朝、玄関のチャイムが鳴り、主人公の家に四角い箱が届けられます。中にはボタンが入っていて、これを押すか押さないか、主人公夫婦は迫られます。人生の岐路。その選択に迫られたとき、人は必ずしも正しい選択をするとは限らないのです。判断材料がそろわないうちに選択してしまうことも多々あります。やり直せることならまだしも、取り返しのつかないことが一方的にやってきた場合、もう後戻りできないのです。

ストーリーがラストは、わが子を救うために夫はある行動に出るのですが、(もしかしたら、えっ、そういうこと……?)とドキッとした展開が瞬間、頭を掠めたのですが、無難に布石通りでした。残念……。更に運命の恐ろしさを感じることができたのに。
セブラーマン ゼブラシティの逆襲

ゼブラーマンの白い部分が善で、黒い部分が悪。両方兼ね備えたゼブラーマンを分離機にかけ、黒の部分だけを抽出して生まれたのが、悪の権現ゼブラレディ。白い部分は、かすとみなされ、路上に捨てられてしまいます。悪に支配されたゼブラシティは朝の5時になると、5分間は悪のし放題。都知事はそのおかげで、犯罪がなくなったというのですが……。小さい子どもの喜びそうな映画です。
しかし それだけではない 加藤周一 幽霊と語る

幽霊とは、戦時中、戦地に向かう船が撃沈して26歳で亡くなった友のことです。当時は、自分が生きる道を選択することなどできなかったのです。生き残ったとこはコンプレックスになって、加藤さんを苛めます。鎌倉八幡宮で暗殺された実朝も26歳だったと加藤さんは語っていました。

戦時中、信濃追分のベンチに密やかに書かれていたたラテン語は、「地上にはすべて平和を」でした。体制側の人間は足を踏み入れない場所だったし、たとえ見つかったとしてもラテン語で書かれていたので大事にはいたらなかったであろうと思われるものの、もし、当時それが発覚されていたら、書いた人間はたいへんな罰を受けていたであろうと加藤さんは語っていました。

この映画は、加藤さんが2008年に亡くなるまでの3年間の記録ですが、体は老いても精神は健在。その講演は、説得力があり、老いも若きもたくさんの人々が耳を傾けていました。亡くなる寸前まで、生き残った人間としてするべきことをしていらっしゃったのはすばらしいことだと感服しました。
台北に舞う雪

彼を育てていた祖母が亡くなった後、町の人たちが、みんなで彼を育てたのです。彼はその恩を返すために、町の人たちの便利屋さんとして使い走りをして生きています。そんな町に降り立ったのは、ストレスで声が出なくなった新人歌手。行きがかり上、彼が、彼女の世話をすることになります。舞台になっている町と人々のつながりが、なんともやさしくっていい感じです。

雪の降らない台北に舞った雪とはなんだったのでしょう。意外なものでした。
息もできない

子どものころの家庭間のできごとがトラウマになっている彼は、現実に対する怒りと、やるせない思いを、暴力で発散するしかないのです。借金を取り立てるのが仕事の彼は、そこまでしなくてもいいと思うほど、金を返さない相手を痛めつけます。一方、高校生の彼女も、高校生では対処できないぐらいの家族の葛藤を抱えています。そのふたりが出会うのです。ののしりあいながら、少しずつ、お互いに必要な存在だと感じ始めます。漢江でのシーンは、感動的です。
マイレージ、マイライフ

主人公は、仕事はリストラ宣告人。会社に代わって首を宣告するのが仕事。1年に322日はアメリカ全土を飛び回っていて生きがいはマイレージを貯めること。結婚・家庭・束縛などくそくらえの彼の人生に転機が訪れます。有力な新人が入ってきて、退職宣告をマニュアルに沿ってコンピューターで対応すればいいと提案。社長は彼女のその案を採用します。ということは、出張しなくてもよくなるのです。彼の価値観は、どう変わっていくのでしょう。果たして、コンピューターでのリストラ宣言は成功するのでしょうか。
ただいま それぞれの居場所  40

公的な介護施設から追い出された老人たちがいます。みんな素敵な人たちなのに、徘徊したり、腕力が強かったり、元気すぎたり、言うことをきかなかったりなど、集団行動ができない症状を持っているからです。そうなるまでには、それぞれ生きてきた道があり、それが個性なのに、はみだしたから追い出されるのはおかしいと思った人たちが、それぞれ個人で宅老所を作りはじめました。その人たちの思いと利用者の人生、そして利用者の家族のドキュメンタリーです。
密約 外務省機密漏洩事件

沖縄の返還協定を取り決める際に日米間で密約があったことをあばいた新聞記者と、情報を漏らした外務省の女性事務官が裁判にかけられることになります。国民は事実を知る権利があり、また報道関係者は事実を伝える任務があるのですが、裁判は、記者が女性事務官と個人的な関係を持ったほうに焦点を当てます。澤地久枝原作の映画化ですが、22年ぶりに上映。沖縄の基地問題が持ち上がっている今の時期、タイムリーな上映です。
ウルフマン

少年時代に受けた心の深いダメージに対して父親がしたことを思うと、胸がはりさけそうです。なんともひどい父親がいたものです。とても切なく哀しい物語です。主人公の悲しみに満ちた瞳と哀愁を帯びた背中がしばらく忘れられそうにありません。愛の力で、最後の瞬間を人間として終えることができたことを、心からよかったと思いました。なぜと思うところもいくつかありましたが、思えば、どうでもいいことかもしれません。
てぃだかんかん(海とさんごと小さな奇跡)

きれいな海を子どもたちに残したいという夢に向かってひたすら突っ走る夫と、赤貧の中、それを笑顔で支える妻に、心が洗われる思いがします。思っていた以上に感動したのは、夢を叶えるまでにクリアーしなければならなかったハードルがあまりにもたくさんあったことです。ひとつクリアーしそうになって挫折、また挫折……。その繰り返しです。それでも、めげなかったのは、夫の夢を信じてくれる妻はもちろん、その夢をともに追い、協力を惜しまなかった仲間がたくさんいたからです。さんごは植物ではなく、動物だったのですね……。
大きな家

岩手県の森の中で暮らす一家の記録です。夫婦と子どもが3人。森の暮らしは、自然といっしょに暮らしていくことです。虫もねずみも、うさぎもへびも、いっしょに暮らす森は、大きな家です。その中で、子どもたちはどのように成長していくのでしょう。カメラマンは父親? おとながしゃしゃりでて、あれこれ口出ししていないところが、とてもいいです。
月に囚われた男

月での赴任期があと2週間で終わる。そして地球に帰ることができる。3年は長かった……。早く家族に会いたい。でも、なにか、おかしい……。ロボットを話し相手に、月でたったひとりで任務を果たしていた彼は、事故にあってしまいます。そして彼を助けに来てくれたのは、自分にそっくりの男……。
武士道シックスティーン

剣道に真剣に取り組んいる少女と、なんとなく剣道をしている少女がいます。そのなんとなくに、真剣の方が負けてしまったのです。ありえないと憤慨した真剣少女は、なんとなくの少女と同じ高校に進みます。ところが、なんとなくが、あまりにも弱いので怒り出します。

心が折れたことがない者は、強くなれない。いい言葉です。
誘拐ラプソディ

二進も三進もいかなくなって首吊りでもしようかと思っていた青年は、偶然出会った少年を誘拐することにします。親は会社員。少年はそういっていたのですが、実は、その筋の親分。大変な展開になっていきます。誘拐という笑えるストーリーではないのですが、なんだかおかしいのです。人のいい前科一犯の青年と、もうすぐ一年生になる少年の会話がまるで掛け合い漫才のようです。父親の愛を知らない少年が誘拐犯の青年を子犬のように慕ってしまいます。その少年が、天真爛漫というか、ユニークで、なんともかわいいのです。
のだめカンタービレ

天真爛漫。恋する乙女。思い込みも強い。しかし集中力は、はんぱじゃない。それがのだめ(野田恵)です。プロを目指して努力している若い留学生の夢に向けての努力と恋は、憧れと嫉妬、充実と失望、挫折感と達成感、。喪失感と存在感……。絶えず、プラスとマイナスが繰り返されながら、のだめと先輩がお互いを理解し、やっとたどりついた先は……。

ショパンやベートーベン、ラベル、モーツアルトなどなどのたくさんの名曲を、わざとらしくない解説付きで聴ける幸せ♪
アリス イン ワンダーランド

19歳になったアリスはプロポーズを受けますが、即答できません。時間がほしい……。白うさぎの後をおいかけて森の洞を覗き込んだアリスは、再びワンダーランドに転がり落ちてしまいます。少女のころ、ここにきたことをアリスは忘れています。「ほんとうにあのアリス?」。ワンダーランドの住人たちは半信半疑です。あのアリスでないと、暴君「赤の女王」をやっつけられないのです。「予言の書」には、赤の女王をやっつけるのは、アリスと書かれていますが、独特の感性を持ったアリスは予言通りに動くのでしょうか。

物語に続きがあるのは、素敵です。ワンダーランドから帰ってきたアリスは、プロポーズの返事をします。パーティでみんなが待っていたということは、ワンダーランドでの冒険は、たぶん、気絶をしていたいっしゅんのできごとだったのはないでしょうか……。
NINE        30

天才監督といわれてきた彼は、妻がいるにもかかわらず美女にもてもてなのですが、近作の評判もよくなく、スランプ状態です。次作のイメージがわいてきません。「イタリア」という大きなタイトルはできたものの、脚本が書けないまま、宣伝のための記者会見を行うはめになり、とうとう雲隠れします。スランプの原因は何か……。日々の暮らしぶりが浮ついていては、作品がコケてもしかたがないのです。彼の脳裏に、少年のころの思いだが蘇ります。母親役が、なんとなつかしのソフィア・ローレン。もういくつになられたのでしょう、ほかの女優さんにまけないほどとても美しいです。

「笑い」と「夢」と「希望」を描く。それがエンタテーメントだそうです。2年後、彼は現場に戻ります。どんな作品を撮るというのでしょう。
ハートロッカー

危険な爆薬処理班の任務が終わっても、彼は、なぜ再度志願するのか。妻も子どももいるのに。主人公は幼い自分の息子に話しかけるようにつぶやきます。「子どものころには大好きなものがいっぱいあった。おもちゃだったり、くまのぬいぐるみだったり、夢中になれるものがたくさんあった……。おとなになるにつれて、好きだったものがどうでもよくなり、どんどん減っていく。そして、とうとうひとつだけになった」と。そのひとつというのが……。

「戦争は麻薬のよう。病みつきになる」という冒頭のセリフが、彼のコレクションからも頷けます。
シャッターアイランド 

ミステリーの謎解きは、ちょっとした顔の変化、目線、しぐさがヒントになるそうです。字幕スーパーに気をとられていたら、見逃してしまうので、日本語版がおすすめだということです。(えーっ)と思う字幕スーパー嫌いの人のために、この映画は、「超日本語版」になっています。「超」というのは、吹き替えに違和感がないように声優の選択、セリフまわしに気配りされているということでした。もちろん、わたしも、超日本語版を観ました。

人が精神的に大きなダメージを受けたとき、それを受け止める心の許容量は人さまざまです。体の傷は日にち薬といわれていますが、いったん壊れた心は、そうはいかないのです。

それにしても、すっかりだまされてしまいました。サスペンス? いいえ、精神障害犯罪者に、なんとも暖かい映画でした。今年観た映画の中で、ベスト3に入ります。時間が許せば、もう一度、今度は字幕スーパーで観たいです。
ダーリンは外国人

国際結婚は大変だ」と思っていたのは、父親ではなく、実は、本人だったのですね。ハードルは、ないと思っているときにはないし、あると思えば、そこに急に現れます。ハードルは自分で作ってしまう……。これは国際結婚にかかわらず、何事もそうなのかもしれません。

主人公が、「ど肝抜かれた」のは、どんなことでしょう♪

漫画本が原作ですが、ご本人夫妻も出演しているようです。わたしは最後のエンドロールで出演者の名前を見て知ったので、見逃しましたが、たぶん、インタビューを受けていたカップルの中の一組かのかな……。それを探すのも楽しみかも。
シャーロック・ホームズ

混沌としたロンドンの街をさらに恐怖に陥れる黒魔術師。世界を制覇しようともくろんでいる事件の解決に推理を働かせているのは、シャーロックホームズ。彼がボクサーだっただなんて驚きでした。イメージが違いましたが、武道家だからこそ戦いのシーンにリアリティがあったのかもしれません。医者であるワトソンが熱くなりすぎる彼を諌めつつ援護します。

手こずりつつも、黒魔術の事件は解決しますが、その事件がらみで、元ホームズの彼女だったというしたたかな女性が登場するのですが、彼女を操るのはなぞの教授。話は、この先、まだ続くようです。
ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

ファイナルステージに招かれた11人の勝利者たちが挑まされるゲームは簡単。金と銀と赤のりんごのいずれかを選択するだけなのです。勝利者は莫大な富を築き、敗北者は多額の借金を抱えることになります。11人すべてが赤りんごを選べば、1回ごとに、それぞれに1億円ずつ入ることがわかっているのですが、人の心の中に渦巻いている欲望がそうはさせません。裏切り者が次々現れるのです。だれを信じていいのかという中で、ゲームはどうなっていくのでしょうか……。トリックがよく考えられているので感心します。後味のいい作品です。
ダレン・ジャン

優等生とはみ出し者の二人の少年。親友だった彼らの「人生のお品書き」は決まっていた……。夜、家を抜け出して学校でも禁止されていた不可思議なサーカスを見に行ったのかきっかけで、少年たちはバンパイアの道に足を踏み入れる。ひとりは、正統派のバンパイアに導かれて半分人間のままハーフバンパイアに、もうひとりは、邪道なバンパニーズに。そしてふたりの戦いが始まった。

サーカスの風変わりな人々がやさしいまなざしで描かれていることや、物語がわかりやすいこと、字幕スーパーしかないことからも、子どもたちにもお勧の映画だと思いました。家に帰って検索してみると、原作は、タイトルと同名の作者が、いとこのために書いた児童ファンタジーだと知ってうなずけました

オープニングのアニメーションも、なかなかおもしろかったです。渡辺謙がニヒルなバンパイアを外国映画の中で、違和感なく演じていました。
噂のモーガン夫妻 

モーガン夫妻は、夫の浮気が原因でただいま別居中。夫はより戻したいが、妻は許す気にはなれない。そんな最中、殺人犯の顔を見たふたりは安全のため、ワイオミングのレアという辺鄙なところに送られる。ここで、ふたりは関係を修復できるのか……。危険は野生の熊だけではない。うかつにもかけた電話のせいで、殺人犯がやってきたのだ。しかも妻には、夫には打ち明けていない秘密があったのです。

都会の文化に汚染されていないレアの人々の暮らしぶりと心意気が、なんとも素敵です。

養子と実子をわけ隔てなく育てていこうとするアメリカ人の姿勢は、見習いたいものだと思いました。
カラヴァッジョ

光と影を描くことで、絵の道を究めた天才画家の人生もまた、光と影そのものでした。子どものころからあこがれていた公爵夫人のいるローマに出てきた彼が貧困の中で描いた聖母の絵には、モデルがありました。モデルを使わないで宗教画を描いていた時代には画期的なことで、しかもそのモデルが娼婦だったことで、彼を非難する者も現れます。

そんな中、公爵夫人のバックアップか枯れを支えたことはもちろん、彼の才能を認めた枢機卿が宮殿の一室を提供して、すべての生活を援助してくれることになったのですが、天才とは形にはまらない生き方を求めるものです。
サヨナライツカ

これは、男のエゴな願望なのでしょうか……? 

家柄の婚約者がいるにもかかわらず、赴任先のタイで金持ちの情熱的な愛人ができる。結婚と同時に愛人を棄て、妻は愛人の存在を知りつつ、母の体験通り彼を責めもせず、彼は自分の思うがまま突き進み事業に大成功。20数年が経ち、かって愛人と過ごしたタイに発つ夫に、妻は結婚前からしたためていた詩のノートを送る。タイで美しく年を重ねた愛人と再会。愛人はずっと彼を待ち続けていて、再会後、彼に迷惑をかけずに、そっと死んでいく。

自分は少しも傷つかず、欲しいものを手に入れ、センチに浸る。なんという身勝手な男の物語でしょう。

それにしてもわからないのは、「愛されて一生を終わる」方がいいのか、「愛して一生を終わる」方が幸せなのかについて、妻が綴って夫に渡したノートの言葉が、最後は愛人の心のうちになっていました。
恋するベーカリー  20

離婚で傷ついたものの、ベーカリーショップは成功し、友人にも恵まれ、豊かな暮らしと自由を謳歌していた彼女が、子どもたちの巣立ちとともに空しさを感じていた矢先、元夫と再会してしまったのです……。

ベーカリーショップに携わっているという設定については絵で描いたようなうそっぽさがありましたが、微妙な女の心のうちを、あっけらかんとユーモアたっぷりにさらけ出しているところが、豪快です。子どもたち心理描写もなかなかよく、最後に選んだ道は正解だと思いました。人生の難関をひとつ越えた彼女は、それをきっかけに、人間的にますます魅力的な生き方ができるのではと思いました。
インビクタス/負けざる者たち

南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラが、自分を狭い監獄の中に30年近くも閉じ込めた相手を許すことができたのも、たった一つの夢のためです。大きくて素晴らしい夢とは、世界がひとつになることです。南アの恥だといわれていた負けてばかりのラブビーチームを世界一にすることで、不可能だといわれていた白人と黒人の壁を取り払うことができたのです。

投獄されている間、大統領の心の支えとなったのは一編の詩でした。詩はただの言葉にすぎません。が、心に響く詩は、人が持っている以上の力を引き出すことができるそうです。詩には、「わが運命を決めるのは我なり。わが魂を征するのは我なり。わたしがわが運命の指揮官……」と書かれていました。

久々に心が洗われるいい映画でした。クリント・イーストウッドの監督作品です。
バレンタインデー

バレンタインデーに、チョコレートを送るのは日本だけ……? アメリカでは、花束を贈るのですね。しかも男性が愛する女性に。その愛が本物である場合は問題がないのですが、そりゃ、まあ、いろいろあるのです。小学生から老夫婦まで、本物の愛の、またはその愛に気づくまでの15人の物語です。飛行機に乗っていた女性大佐が会いに行ったのは……。ここで物語のすべてがつながりました。そういうことだったのですね。こういう楽しみがたまりません。
交渉人

交渉人は、犯人と接触して説得、人質を救出するのが任務なのですが、この映画は、159名の命は救えたものの、交渉そのものは失敗だったように思います。が失敗を含めて交渉人の仕事とはこういうものだということは、よくわかりました。

それにしてもです、悪人の上には、更に悪人、また、その上には……。末端で動かされているものは、操り人形にすぎないのです。

わたしが交渉人(ネゴシエーター)と出あったのは、映画「踊る捜査線」でした。交渉人真下を演じたユースケ・サンタマリアの意外性がなかなかよくて、印象に残っています。
食堂かたつむり

恋人に裏切られて失語症になり帰郷した娘は、母親ともしっくりいっていません。物置でレストランを開くのですが、心を閉ざしてしまった娘が作る料理が、いかにおいしくても、人の心に魔法をかけることができるとは、わたしにはとても思えません。食後の幸せ感を、花いっぱいのイラストで表現するにいたっては、おとなのメルヘンだと割り切らないと、とちゅうで投げ出したくなります。どの料理にも時間がたっぷりかけられていましたが、キッチンに活気がありません。おいしそうな香りも漂ってきませんでしたし、食指も動きませんでした。お料理がメインなだけに残念。

名まえをつけて子どものようにかわいがっていた豚や、激突して死んだ鳩を食材と割り切って調理し、挙句、おいしいと感じるには、説得力が足りないと思いました。
おとうと

どうしょうもない弟の存在に、姉はほとほと手を焼いていました。どんなに縁を切りたくても切れないそれが姉の弟への思いというものなのですね。いっしょに、腹を立てて、泣いて、笑って。弟を演じていた釣瓶は自然体で、うまい役者さんです。

大阪は通天閣の下にある「みどりの家」の存在が意外な展開でした。思いがけない伏兵とういうか、この映画の隠し持っていた「珠宝」に、泣きました。なんと人にやさしい物語だろうと思いました。
今度は愛妻家

カメラマンと妻の葛藤が描かれているとしか、ここには書けないのが残念です(ネタばらしになるので)。ほかの登場人物は、初心な見習いカメラマンと、女優になりたい擦れた女の子。おかまのおっさん。この5人のからみが絶妙ですが、最後にならないと、この物語の真髄はわかりません。深くて、切ない、夫婦の物語でした。期待していなかっただけに(タイトルから洋画だと思っていて、チケットを買うときに、『今度は恐妻家』くださいといってしまいました)、感動も大きかったです。
ラブリーボーン

少女が異常者に殺される……、なんとも辛い映画です。犯人が捕まらない上、遺体も見つかりません。家族には耐え難い日々が続きますが、家族に愛されて育った少女の魂も同じです。なかなか天国にいけずに、浮遊してけんめいに家族に呼びかけます。なおも辛いのは、同じように異常者の犠牲になった子どもたちが、何人も出てくることです。突然命を断たれた子どもたちの無念さを思うと、「人は必ず死ぬのよ」という言葉など、安易すぎてただ空しく聞こえるだけです。
ゴールデンスランバー

めちゃくちゃおもしろかったです。なぜだとか、ありえないなどと、決して考えてはいけません。なぜ犯人をでっちあげなくてはならなかったのか(車で爆死した友人であってもいいわけで)、なぜ警察が一般市民を犯人にしなくてはならないかなんて、そんなことはどうでもいいのです。たくさんの布石がつながっていって、物語の最初のシーンに戻ります。ああ、そうだったんだと不可解だったシーンがストンと落ちるおもしろさ。この瞬間のためのストーリーだとさえ思えてきます。学生時代の友人たちの友情が、さらりとしていて、深く、なんともいいです。
オーシャンズ

素晴らしい海の生き物たち。その映像の美しく、ダイナミックで神秘的なこと。どうやって撮影したのでしょうか? 最後の説教くさい部分はいらなかったです。この映像を観れば、だれだって海が汚染されないように真剣に考えずにはいられません。
Dr.パルナサスの鏡  10

パルナサス博士は1000歳。しかし娘は16歳。ファンタジーといえばそうだし、神話だといえばそうだし、トリックのような、悪夢のような、なんというか、つまり不可思議千万です。物語自体がさっぱりわからないのです。何よりも、不可思議なのは、ジョニーデップがちょい役で出演しているということです。しかも、ジョニーのはずが別の役者になっていり……。

そのわけがわかりました。トニー役の役者が撮影中に急死したので、交友のあったジョニーをふくめて3人の役者が交代で、鏡の向こうのトニー役を演じていたのです。3人の出演料は、すべて遺児に送られたということです。裏話の方が、深い……。
THE 4TH KIND フォース・カインド
その地方では、不可思議な現象が起こり、人が行方不明)になることもしばしば起こっています。この映画は実話を元にしたものだそうで、当時の録音もビデオも、併せて映しだされています。ビデオの映像が残っているにもかかわらず、不可思議な恐怖体験をいくら説明しても理解してもらえない辛さが描かれています。実際に起こったこの現象をどう捉えるかは、映画を観た人に委ねられています。人間は、科学的に証明できることしか信じられないのでしょうか? 

UFOと遭遇することはあこがれでもありましたが、もうしぜったい望まないといいたくなくなりました。
かいじゅうたちのいるところ

理解してもらえないという疎外感は、自分の心の中では処理しきれない感情やエネルギーとなって爆発しそうです。そんな気持ちを抱えたまま、少年がたどりついたかいじゅうのいるところ。そこでは、かいじゅうたちが気持ちを思うぞんぶん、ぶつけ合っています。凶暴だと思えるかいじゅうの心の奥は少年とおなじ、理解して欲しのです。さらに、少年と少し違うのは、かいじゅうには、ちゃんと相手の気持ちを汲み取る心があるのです。

絵本の映画化ですが、成功なのでしょうか? たしかに怪獣の表情もよかったし、節度をもたない暴れぶりも、怪獣らしくてよかったのですが、プロローグはともかく、エピローグが全く別の映画の1シーンのようで、物足りなかったです。子どもたちが観る映画なので、あと一工夫、わたしだったらこうするという思いが強くあります。良し悪しは別として、それがけっこう発想に役立つので、どんなに忙しくても映画館に足が向いてしまうのです。
母なる証明

軽い知的障害のせいか、人を疑うことを知らない息子を、母親は不憫に思いながら、とても愛しています。その息子が、殺人犯として捕まったとき、「ありえない」と憤った母親は、無実を証明しようと駈けずりまわります。真実を知ったとき、母親のとった行動は……。歪んだ愛情というか、悲しいまでの利己的な愛です。

針(鍼灸)がうまく布石として使われています。母親は、自分の太ももに針を打って、己の記憶をどうしようとしたのでしょう。「戦場でワルツを」は、喪失した記憶を、どんなに辛くても取り戻さなければならないことがテーマでしたが、この母親は、記憶をあいまいにすることで、その場を乗り切ろうとしていた……? 真犯人として逮捕された無実の少年には、必死で守ってくれる母親はいません。
牛の鈴音

おじいさんにとって、30年間もいっしょに田畑を耕してきた牛は、特別な存在です。この牛のおかげで、子どもたちを食べさせ、学校に通わせることができたのです。よぼよぼになった牛とおじいさんは老いた今も、休みなく働き続けています。医者に「働くのを控えなさい」といわれても、「休むのは死んでからだ」と、地に這いつくばりながら、泥まみれで耕作をしています。耕運機を使わないのは、楽だけれど稲穂がこぼれて無駄になるからで、農薬を使わないのは牛の食べる草が汚染されるからです。昔ながらの耕作方法です。「あたしゃ嫁いでから苦労のしっぱなしだよ」。おばあさんのぼやきもおじいさんにとっては、馬耳東風。映画の最初から最後までぼやいているおばあさんの声が、単調なドキュメンタリーの進行役として、なかな愉快な味になっています。

「ひたすら大地を耕し、子どもを養ったすべての牛と農夫に捧げる」映画ということですが、いい記録映画だと思いました。
映画レイトン教授と永遠の歌姫

謎解き物語ということで期待していたのですが……。最後にひとりだけが永遠の命を授かるというのですが、選ばれていく段階で、「カイジ人生逆転ゲーム」のような緊迫感もないし、かといって、謎解きといっても、「コナン」のように、叡智に富んではいません。しかも、最後の一人は、最初から選ばれていた感が強いです。なぜ、わざわざ大げさなしかけをしたのか、よくわかりません。もともとはゲームだったそうですが、その方が楽しめるのかもしれません。
ウルルの森の物語

傷ついた動物を保護し、生命力を引き出し、自然界へ帰すこと、それが、例え、絶滅したといわれている狼であっても……と北海道の野生動物救急病院に勤めている父親である獣医は思っています。思っていても、大人の世界では「貴重なサンプルだと」いわれれば、提供しないわけには行かないのです。が、子どもの心は、おとなの事情は関係ありません。お母さんが緊急入院したために、別れたお父さんの元に預けられた兄妹の母への思いは強く、自分たちの思いとダブらせて、狼の子どもの可能性が大きいウルルをお母さんのところに帰してあげたい、とひたすら願い、行動に出るのです。終始、子どもの目線で描かれていて、なかなかよかったです。

ウルルが本当に狼の子どもだったのか、そんなことは問題ではないように思います。むしろ、絶滅した狼がいたという設定はうそっぽいです。最後に親狼を映さないで遠吠えだけにして、それに応えるようにウルルが森に帰っていくようにしてほしかったです。

父親役は年齢的にもいっても、離婚しても夢を追いかける役柄からいっても、分別のある船越英二郎より、照英辺りの方がぴったりのように思いました。それなら、お父さんの教訓めいたセリフも変わってくるのでしゃ」ないでしょうか。
アバター

衛星パンドラに住む先住民ナビィの体を人工的に創りあげ、生身の人間の脳だけを、創りあげた体にリンクするのです。そして偵察。すべて、欲しいものを手に入れるための作戦でした。選ばれたのは元海兵隊員だった車椅子のジェイク。訓練を受けていた双子の兄と同じDONAを持ち合わせているというだけの理由からです。肉体は兄と同じとはいえ、ジェイクの心に野心はなかったので、自然とともに生きているナビィに受け入れられました。そして、ナビィの娘と恋に陥ります。ジェイクは人間とナビィの板ばさみになるのですが、どちらを選択するのでしょうか……。

何よりも素晴らしかったのは、ナビィが住んでいるパンドラの森。そこに住んでいる野獣や、心を宿している植物。渓谷。山。滝。巨大な鳥。宙に浮いているパンドラに存在するすべての自然の美しいこと。どのように撮影したのでしょうか。驚きです。その素晴らしい自然を、戦闘機をけしかて、平気で破壊していく、それが人間という下等動物なのだと、恥じ入りつつ観ました。

自然破壊への警告映画としても素晴らしいものでした。
のだめカンタービレ

ピアニストを目指してパリで勉強中ののだめには、尊敬する恋人がいます。その恋人千秋は、来春から、歴史あるルー・マルレオーケストラの常任指揮者になれると意気込んでいいますが、その楽団の実態は、ひどいものなのです。資金難と対人トラブルで、半分の団員が辞めてしまい、残った団員も生活のために働かなければならず、練習もろくろくしていないという状況なのです。団員とコンマスとの関係もうまくいっていません。千秋は、その楽団の建て直しにかかるのですが……。

「トレビアン」と喝采を浴びた千秋に、のだめは嫉妬してしまいます。ふたりの仲は気まずくなり、千秋は引っ越す決心をします。

漫画の映画化なので、日本人がかつらをつけて外国人を演じていても、それはそれで演出だと思えるのですが、吹き替えはよろしくありません。フランス人はフランス語をしゃべってほしかったです。
ティンカーベルと月の石

ティンカーベルは、物作りの妖精です。ちょっと短気ですが、物を作る「ひらめきの才能」はすばらしいのです。そんなティンカーベルに、秋の祭典に使う「聖杖」を作るという大役が舞い込んできました。杖に使うための、大切な「月の石」を預かりました。月の石は、祭典のある満月の夜に月の光を浴びると、青い妖精の粉を撒き散らすという不思議な力のある石なのです。その石をティンカーベルは壊してしまいました。それもこれも親友テレンスのせいだと思い込んでしまいます。秋の祭典は、日に日に近づいてきます。いくつもの破片になってしまった月の石を元通りにするには、願い事が叶う魔法の鏡を探しに行くしかないのです。ティンカーベルは船を作り、ひとりで出かけていくのですが……。

妖精の世界を楽しみながら、子どもたちに何が大切なのか教えてくれる物語です。